畳古きにも旅情うごく

Santouka081130034

―日々余話― Soulful Days-38- 述べられなかった意見陳述草稿

事実のみに照らして人が人を裁くはずの法廷の場もまた虚構に満ちたものであり、法廷のなかの真実とはまったくもって蜃気楼のごとき泡沫のものにすぎない。
本日午後、被告M.Mを自動車運転致死傷に問う公判があり、私は、被害者参加制度に則り、弁護人や検察官の質問のあと、被告人質問と意見陳述を行った。以下の文書は、本来なら私の意見陳述はこうあるべしという草稿であるが、検事との事前協議のなかで、刑事訴訟法の被害者又は被害者家族による意見陳述の項に基づき、クレームが付けられ、日の目をみること叶わなかったものである。よって今日の法廷で陳述したものは、検事の意見に沿いつつ書き改めた短い別稿であるが、此処ではお蔵入りを余儀なくされた原草稿を、ずいぶんと長文だが、謂わば事故より1年と8ヶ月を経てきた私自身の総括文書として、掲載しておきたい。


 だれも事故を起こそうと思って起こす者がいる筈はない。
AとBの間に交通事故が起きる。そのこと自体は99.9%以上偶然の産物でしょう。ましてそのどちらかに第三者のCが乗り合わせ、しかもその結果、生命を落とすことになるなど、さらに偶然が重なったものであることに思いをいたすなら、この悲劇はひたすら不運、運命の悪戯かと、降りかかった不幸な災禍をただ嘆くしかないと、事故当初よりそう受けとめてきたつもりです。
ただ、わずか0.1%の必然のなかに、AとB、相互の過失が含まれている。お互いのその過失さえなければ事故が起きなかったというのも、また厳然たる事実です。
きわめて偶然的な出来事にせよ、事故を起こしたA.B双方にとっては、たとえ小さなミス、わずかな過失であろうとも、それがなければ、それさえなければ、自らも負傷したり、第三者Cを巻き込むこともなかったのに、あろうことかそのCの生命さえ奪い取ってしまうという、そんな取り返しのつかない、不条理というしかないような出来事を招来したとすれば、A.B双方ともに、自分自身を責め苛む、良心の呵責というものは堪えがたいものがある筈だ、私なら否応もなくそうなってしまうに違いない、と思うのです。
取り返しがつかないというのは、これはもう救いがないというのに等しいことですから、ただひたすらその事実の前にひれ伏すしかない。死んでしまった被害者の家族の哀しみ、傷みや苦しみ、心の傷とはけっして交わりえない処でですが、余人には到底想像できないような心の傷を、トラウマを負ってこの先を生きていかざるをえない。そうであろうことを思えば、事故を起こした当事者に対し、恨んだり憎んだりと、そんなことはするまい、そうすることは自分の哀しみや傷み、遣り場のないどうしようもなさの代償行為にしかすぎないと、そうも考え自分の行動を律してきたつもりです。
ところが現実の進行、結果として娘・RYOUKOの生命を奪ってしまった事故の、当事者M.MとT.K、この二者における事故への対処全般、事故原因の警察での捜査や取り調べ、さらには検察での取り調べ、また被害者及びその家族への対応あるいは謝罪等の行為など、それぞれ自分自身の過失責任という厳然たる事実を前に、M.MとT.K、この二者のとってきた姿勢及び行動は、私の眼にはまるで異なり対照的なものにさえ映ってしまっているというのが、一昨年の9月9日の夜、事故発生から今日までの1年と8ヶ月をとおしての印象であり、所感というべきものです。

 こういった事態になぜ到ったかについて触れるまえに、まず被害者も含めた事故の当事者たち、三者三様の、事故後における、まるで異なる現実についてから記さなければなりません。
事故から1年8ヶ月を経た現在、Mは事故時の負傷からくる後遺症に今もなお苦しみ、治療に通っています。頸椎の異常から中枢神経への圧迫があり、右手の指の麻痺がまだ残っているからです。完治にはまだ日時を要するものと思われます。また事故後の半年余りは、脳神経への影響もあったのでしょう、精神的な鬱症状にも悩まされたと聞いています。
Tの事故直後の診断は全治7日間の軽傷とあり、その予後がどうであったか知りませんが、家族の内の私ひとりが、事故から1ヶ月半ほど過ぎた頃に、父親に伴われてきた彼と会った際にも、とくに怪我の話題など出なかったし、その折の様子からしてきっと数日のあいだに完治していたものと思われます。ウェイクボードのプロだという彼は、事故当時シーズンオフでもなかったでしょうから、直後より全国各地で行われる競技などに出場しては、活躍していたことと思われます。ようするに彼の日常は、事故前と後と、ほとんどまったく変わりがなかったであろうということです。
事故の衝撃から硬膜下血腫や脳浮腫を起こした娘・RYOUKOは、その直後から意識不明の重体にあり、そのまま5日目の夜に息を引き取りました。いえ、より正確に言えば、彼女は事故直後より生ける屍同然だった、生命維持装置によってただ生かされていたばかりで、3日目の夜、残された家族は、いつこの装置を外すかと、担当の医師より決断を迫られたのでした。私たち自身の意志で彼女の命を絶たねばならぬという、家族にとってこれほど苛酷なことはなく、その挙句の、5日目の死であったのです。なにも知らぬまま彼女は逝き、そして焼かれ、今は小さな墓の下に‥。

 事故の直接の関係者、この三人の事故の結果は、現在にいたるそれぞれの姿は、なぜこんなにも異なるのか、その圧倒的な違いはいったいどこからくるのかを考えるとき、私には、この事故の、法以前の、交通法規以前の、事の本質というものに出会すような気がするのです。
交差点内の直進と右折とか、信号は青だったとか、スピードがどうだったとか、だからどちらがより悪いとか、そういった交通法規に則った解釈や事実以前に、直進行為とはいえ横合いから猛烈な勢いでぶつかっていった者と、ゆっくりと進行していたにもかかわらず不意を襲うようにぶつけられた者、という構図がもっとも明快な、基本的な事実ではないか、とそう思うのです。
ぶつかっていった者は、まさにそのぶつかる瞬間の、ほんの少し前とはいえぶつかるということを察知しているのです、だがもう逃れようもない、咄嗟のブレーキも間に合わない、アーッと無意識に声を上げながら、それでもしっかりと身構えて、その瞬間に突入していくといった図です。
片やぶつけられた者、その運転手は、横合いから勢いよく迫り来る者を、眼に入らなかったのだから、その実態はなにやら解らない、解らないけれどなんだか咄嗟に気配のごときものを感じたのでしょう、だからこそブレーキ動作をした。そこへドカーンとやってきた。彼にとってはなにやら得体は知れないけれど、一瞬、恐怖に襲われるがごとく身の危険だけは察知しえたでしょう、だから次の瞬間、なんらかの身構えは出来たでしょう、けれども横合いからの70km/hというとても激しい衝撃ですから、その一瞬の身構えがどれほど役に立ったといえるのかは解りません。
ぶつけられた者のもう一人、後部左座席に乗っていた被害者にとっては、直前の予測もなにもない、ただ突然激しい衝撃に見舞われただけ、それも後部座席に向かってもろともぶつかってきたのだからたまりません。一瞬、彼女はアッと声をあげたのでしょうか、痛い!と感じたのでしょうか、薄れゆく意識という謂がありますが、もし彼女にほんの1.2秒そんな時間があったとすれば、どんな像が脳裏に浮かんだことでしょうか、あれこれと想像してみたところでなにも確かめられる筈もなく、彼女はそのまま逝ってしまったのです。彼女の愛しい人たちにサヨナラと告げることもなく、突然、逝ってしまったのです。

 かように、この事故においては、激しい勢いでぶつかってきたTだけが、次の瞬間に起こる事態を予見できており、それがゆえにほんの軽い怪我ですみ、次に、一瞬恐怖が走り身の危険をかろうじて察知しえたであろうMは、頸椎を損傷して今もなお後遺症に苦しみ、そして、まったく不意を襲われてしまった娘・RYOUKOの場合は、意識不明となってそのまま死に到る、というのが三者に起こったまったく異なる現実であり、明快な構図なのです。天国と地獄ほどにかけはなれた三者三様の事態を招いたこの構図が、この事故の、法以前、交通法規以前の、事の本質なのだと、私はそう考えざるをえません。
こういった衝撃的な事態とは、法だとか交通法規だとかの理非云々以前に、自身の存在自体を揺るがす戦慄が走るような出来事であること、そしてその恐怖の瞬間をもっとも直かに感じ、だれよりもリアルに受けとめざるをえなかったのは、ものすごい勢いでぶつかっていったT自身の筈です。そしてさらには相手方の搭乗者だったRYOUKOの死という悲劇がのしかかってくる。こういったとんでもない事態の前で、交通法規上の過失の多少などなんの関わりがありましょう、たとえ自分の過失が僅かなものであるとしても、ひとりの人間の生命を奪ってしまったという事実の前には、なんの慰めに、なんの救いになりましょうか、被害者の前にただひたすらひれ伏すしかない、私ならそうするし、だれでもそうせざるをえないでしょう。
しかし、Tはそうはしなかった、このとんでもない事態に直かに向き合い、その責めをまっとうしようとは、いっさいしなかった。自分可愛さのためひたすら保身に走り、人としての尊厳を振り捨て、一片の良心をも振り捨て、冷たい仮面を被ってしまった。この悪夢のような現実からいかに自分自身を救い出すか、逃れきるのか、そのためにあの一瞬の戦慄すべき恐怖の記憶を意識下へと抑圧し、自分に関わりないこととして消し去ろうとした。さらには、交通法規上、自分の過失をいかに小さくするか、いかにお咎めなしを勝ち取るか、そればかりに集中、専念していったのだ、と私は受けとめています。

 一方、Mの場合はどうであったか、被害者家族の私が言うのもなんですが、これはもうほんとうに傷ましいものでした。いま瀕死の状態にあるのが自分の乗客であるというこの事態は、彼にとっては逃れがたいジレンマであり針の筵そのもの、良心の呵責にとても堪えきれないものがあったのでしょう。彼は、事故のあった9日の夜から死に到る14日の夜まで、毎日病院に来ては、待合室の廊下の隅でただ独りじっと身をすくめるように立ちつくしていました。この救急病院では面会の時間が、午後と夜の一時に限られていたので、家族としてもその時間に合わせて行くしかなかったのですが、私たちがいつ行っても必ず彼は先に来ており、私たちが病院を立ち去るまで、少し放れた場所から頭を下げそっと見送るように立っているのでした。
私は、そんな彼の姿を見ながら強く胸を衝かれたものです。いまこの事態をまえに、家族の心の傷ましさがだれにもはかりえないのは当然としても、彼のようにまるで針の筵の中で自分自身を責め苛まなければならぬ、その傷ましさというものは私たち家族とはまた別次の、はかりしれないほどの凄まじいものがあるのだ、と気づかされたのでした。

 ところで、本来、法というものは、一定の所与のなかで合理的なるもの、ある枠組みのなかで理-ことわり-に適ったものなのだ、と私は受けとめています。したがって、人として生きること、人としてのトータルな存在は、法を超えてあるものです。だからこそ、法以前の、倫理とか道徳とか、あるいは善と悪とか、きれい・汚いといった美醜の別、そういった価値観が人間社会にはあるべきなのです。ならば、法以前の事の本質、その観点からこの二人を評するなら、必定、Mは善き人、清き人となり、Tは悪き人、欠けたる人となるでしょうし、さらに結論づければ、許されざるはTのほうでこそある、と言わざるをえません。
とはいうものの、人として悪人、欠けた心であってさえも、けっして許されないということはなく、救いの道が閉ざされているわけでもありません。かの親鸞悪人正機に倣えば、自らの弱さや脆さゆえに逃げ込んでしまった嘘や偽りの鎧を、きっぱりと脱ぎ捨ててしまいさえすれば、そうして裸形のおのれ自身を見出しさえすれば、おのずと救いの手もさしのべられようし、おのずと許しもやってこよう筈なのですから。

 さて、ここまで、いわば法以前の、直接は法に関わりないことどもを、縷々綿々と綴ってきたのも、この事故が、Mの過失致死傷事件として、いまこの法廷において裁かれようとするに到った、その全経過のなかに表われた、事故の全容なるものあるいは事実関係なるものに対し、私の知るかぎりにおいて、些かなりとも反照となりうるような、そんな背景を映し出したかったからにほかありません。

 次に具体的な問題点として、本法廷の公訴事実、そのもっとも重要と思われる事実関係について疑問を呈したいと思います。
この記述によれば、被告のMは、「T車を左方約20.5メートルの地点に発見し、急制動の措置を講じたが及ばず」、衝突事故となったとありますが、これが事実だとすれば信じがたいような矛盾があるのではないでしょうか。この事実認定には、まったくリアリティーというものが欠如している、としか私には思えません。
事故直前のT車は70km/hのスピードであったと聞いておりますが、これをMが約20.5m手前で視認したとするなら、衝突時の約1.7秒前となります。もしこの事実が正しいのなら、この時、Mは急制動などせず、そのまま右折直進行為を遂行しさえすれば、この事故は避けられたということになります。それなのにMはいったい何を勘違いしたのか、愚かにも急制動などをして却って事故を招来してしまったと、そんなバカなことがありましょうか、仮にもMは職業運転手です、その彼が咄嗟にこんなバカげた運転行為をしたとするなら、その瞬間、彼は異常なパニックにでも陥り、心神喪失したか、刹那的な発作にでも襲われたというのでしょうか。この事実認定には、そんなありそうもない絵空事でも挿入しないかぎり説明がつかない、これはきわめて合理性に欠けた事実認識と言わざるを得ません。
たしかにMの供述調書には、直進対抗してくるT車の前照灯を認めた、という内容の記述があるようですが、後に彼はこの事実を否定しています。Mが直かに私に語ったところによれば、近づいてくるT車の姿も、前照灯さえも見てはいない、なぜ急制動したか、それは気配とでも言うしかない、そんなものを感じて咄嗟に反応した、とそう言っています。

 はたしてMは、T車を見たのか、それとも見なかったのか、これは事故の事実関係の根幹にかかわる問題ですが、本当の事実は、真実はどちらなのか。
私は、MKタクシーからドライブレコーダーの記録データを貰い受けて、その動画資料をつぶさに何度も何度も、それこそ何十遍となく見てきました。そうして得た私なりの結論は、MはT車を現認していない、ただ猛スピードで近づいてくる車の気配に、咄嗟に急制動の反応をしたのだ、というものです。そう考えさえすれば、事故の記録画像においても、またそのタイムテーブルにおいても整合性があり、事実関係はリアリティーもあり合理的なものになるのです。
然らば、T車は、記録画像からも充分に覗えることですが、前照灯を点灯していなかった、無灯火であり、なおかつ70km/h以上の、危険きわまる無謀運転に等しいものであった、ということになりましょうし、さらにつけ加えるならば、Mの「T車を見た」という供述の背後には、彼に対する西署の予断に満ちた取り調べ、といった一抹の疑念までも浮かび上がってくるのです。
事故の起こった衝突時より約1.7秒前、それは70km/h以上のスピードで20m近くにまで迫ってきた直進対抗車、T車の、それは路面から伝わってくる微振動音などの所為だったかも知れませんが、とにかく正体の知れぬ何者かが迫り来るような気配を感じて、Mは咄嗟に急制動をした。対抗直進車のTが前方のM車の急制動に気づいたとて、この時はすでに遅すぎる、彼もまた咄嗟に急制動をしようとした筈だが、ブレーキ痕を残すこともなく、激突したと、これが事故原因の根幹にかかわる事実関係なのだと、ドライブレコーダーの記録画像を自分なりに検証した時点から、私はそう確信してきました。

 翻ってみれば、被害者家族として、西署における初動捜査に、まず大いに疑問を感じずにはいられません。夜間の事故であるにもかかわらず、なぜ、事故直後の簡単な現場検証と、あらためて二者の車の実況見分だけで了としたのか。実況見分の際に、ドライブレコーダーを見る機会を得たものの、この静止画から数葉の写真を撮影しただけで、この全体を証拠資料として充分に活用せず、また日中の明るい時間帯に詳細な現場検証をしなかったのはどうしてなのか、理解に苦しまずにいられません。
さらに、検察の取り調べ段階のなかで、私たち遺族は、ドライブレコーダーを証拠資料として挙げ、本件事故の原因となった過失は、むしろT.Kにこそ重くあるのではないかと主張、T.Kに対する告訴状をもって、事実関係の真の解明をお願いしてきましたが、ほぼ1年をかけたその検証の結果は、私たちの期待も虚しく、検察へと送致された西署の調書事実を追認、補強する躰に終始したようにしか覗えないことは、まことに残念、痛恨の極みと言うしかありません。

 現在、本法廷が開かれる仕儀に到ったのは、検察の取り調べの結果、その採られた措置が、M.MとT.Kの二者に対し、Mには公判請求、Tには起訴とはいえ略式起訴であったからですが、もう一つ別の視点からも、首肯できない問題点を感じています。それは刑における相対主義とでもいうべきものでしょうか。
当初、本件の取り調べを担当した前検事は、初めて私たち遺族が大阪地検に伺い、面談をした際、Mを略式起訴に、Tを不起訴処分にと、そういう判断を示したのですが、この判断に抗って私たちがTへの告訴をするという展開になりました。その後、担当検事が代わり、再捜査というか、ドライブレコーダーを含めた取り調べがようやく始まった訳ですが、その挙句の果てが、Mは略式起訴から公判請求の起訴へ、Tは不起訴から略式起訴へと、謂わば単純にそれぞれの刑の要請を嵩上げした、相対的に重くしただけである、ということ。
いわゆる民事における損害賠償などの問題対処においては、損保会社などのいう、やれ5:5、やれ7:3などの過失割合といった数比に収斂していかざるを得ないのは一応理解できるとして、刑の科料という問題場面においては、事実関係の解明度、透明度は、それこそケースバイケースで千差万別であるにもかかわらず、同じように相対主義が貫かれようとするのは、結果として隠れてある事実関係というものを却って歪曲することにもなりかねない、そんな危惧を抱かざるを得ないのです。
仮に、事実関係の再捜査、再検証の結果、T車の無灯火や無謀な危険運転について疑わしいと言わざるを得ない、疑わしいには違いないが断定するに到らない、おまけに今更彼の供述を覆させることも困難至極、あり得そうもないとすれば、疑わしきは罰せずとするしかない。そうであるなら、当然のごとく、Mの過失も初動捜査における調書のごとくである筈もない。本件事故の事実関係におけるもっとも重要な部分が、さまざま可能態は想定出来ようとも全容解明には到らず、不透明なまま残されざるを得ない。事件の本質に迫りえぬ以上、事実関係の解明が100%できぬ以上、その解明できた部分においてしか、刑の要請もできない、とするべきではないでしょうか。

 事故から1年8ヶ月を経て、こうして本法廷に臨むこととなった今、私の胸に去来する哀しみや苦しみは、たんに娘・RYOUKOの死を傷むことからくるばかりではありません。いわゆる巷間伝えられるところの、交通事故遺族の受ける二次被害なるもの、事故原因の追求、事実関係解明の全過程、警察における捜査や取り調べを経て、さらに検察における取り調べ、そして審判といったすべてのプロセスを通して、事故被害者の家族として私たちもまた、娘・RYOUKOの突然の死とは、別の苦しみや哀しみ、傷みというものを、この間ずっと、感じ、抱きつづけてきたのだということを、どうかご理解戴きたいと思います。

 最後に、以上綴ってまいりました次第をもって、何卒、被告M.Mの過失認定において多大の減殺あるべきものとご判断戴き、同じく科料につきましては軽微なるをもってご裁決戴きますよう、被害者家族を代表し、切にお願い申し上げます。
  平成22年(わ)第××××号 自動車運転過失致死傷被告事件 担当裁判官 殿


―山頭火の一句― 行乞記再び -67-
3月5日、すべて昨日のそれらとおなじ。

大隈公園というのがあつた、そこは侯の生誕地だつた、気持のよい石碑が建てられてあつた、小松の植込もよかつた、とごからともなく花のかをり−丁字花らしいにほひがただようてゐた、30年前早稲田在学中、侯の庭園で、侯等といつしよに記念写真をとつたことなど想ひ出されてしょうぜんとした。-略-

子供といふものもおもしろい、オコトワリオコトワリといつてついてくる子供もゐるし、可愛い掌に米をチヨツポリ握つてくれる子供もゐる、彼等に対して、私も時々は腹を立てたり、嬉しがつたりするのだから、私もやつぱり子供だ!

佐賀市はたしかに、食べ物飲み物は安い、酒は8銭、1合5勺買へば十分2合くれる、大バカモリうどんが5銭、カレーライス10銭、小鉢物5銭、それでも食へる。

緑平老の厚意で、昨日今日は余裕があるので、方々へたよりを書く、5枚10枚20枚、何枚買いても書き足らない、もつと、もつと書こう。

※表題句の外、4句を記す

05241

Photo/佐賀城付近にある大隈重信生誕の家

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Photo/大隈重信記念館を左に見ての大隈公園

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Photo/丁字花の花

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