腹立たしや、情けなや<愛国百人一首>

<愛国百人一首>をご存じか? ――2006.04.15記
 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置かまし大和魂  吉田松陰
太平洋戦争のさなか、小倉百人一首に擬して「愛国百人一首」なるものが作られていたというが、吉田松陰の一首もこれに選集されたものである。
対米開戦の翌年、日本文学報国会が、情報局と大政翼賛会後援、東京日日新聞(現・毎日新聞社)協力により編んだもので、昭和17年11月20日、各新聞紙上で発表された、という。
選定顧問に久松潜一徳富蘇峰らを連ね、選定委員には佐々木信綱を筆頭に、尾上柴舟・窪田空穂・斎藤茂吉釈迢空土屋文明ら11名。選の対象は万葉期から幕末期まで、芸術的な薫りも高く、愛国の情熱を謳いあげた古歌より編纂された。


  −Wikipediaでは百人百首が総覧できるよ−

柿本人麿の
 大君は神にしませば天雲の雷の上に廬せるかも  
を初めとして、橘曙覧の
 春にあけて先づみる書も天地のはじめの時と読み出づるかな
を掉尾とする百人の構成には、有名歌人以下、綺羅星の如く歴史上の人物が居並ぶのだ。
どんな歌模様かと想い描くにさらにいくつか列挙してみると、
 山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも  源実朝
 大御田の水泡も泥もかきたれてとるや早苗は我が君の為  賀茂真淵
 しきしまのやまと心を人とはゞ朝日ににほふ山ざくら花  本居宣長
ざっとこんな調子で、「祖先の情熱に接し自らの愛国精神を高揚しよう」と奨励されたという「愛国百人一首」だが、いくら大政翼賛会の戦時下とはいえ、まるで古歌まで召集して従軍させたかのような、遠く現在から見ればうそ寒いような異様きわまる光景に、然もありなんかと想いつつも暗澹たるものがつきまとって離れない。

<今月の購入本>−2012年12月
◇川村 湊「牛頭天王蘇民将来伝説―消された異神たち」作品社
◇本橋 哲也「深読みミュージカル -歌う家族、愛する身体-」青土社