露の世は露の世ながらさりながら

この三、四日、果てしのないような資料整理に明け暮れている。
まだ、いつ終わるか見通しが立たない……

一茶の、喜びも悲しみも ――2006.04.19記

  這へ笑へ二つになるぞ今朝からは

文政2(1819)年、「おらが春」所収。前書に「こぞの五月生れたる娘に一人前の雑煮膳を据ゑて」とあり元旦の句。一茶はすでに57歳、老いたる親のまだいたいけな子に対する感情が痛いくらいに迸る。

  露の世は露の世ながらさりながら

同年、6月21日、掌中の珠のように愛していた長女さとが疱瘡のために死んだ。
三年前の文化13(1816)年の初夏、長男千太郎を生後1ヶ月足らずで夭逝させたに続いての重なる不幸である。

「おらが春」には儚くも散った幼な子への歎きをしたためる。
「楽しみ極まりて愁ひ起るは、うき世のならひなれど、いまだたのしびも半ばならざる千代の小松の、二葉ばかりの笑ひ盛りなる緑り子を、寝耳に水のおし来るごとき、あらあらしき痘の神に見込まれつつ、今、水膿のさなかなれば、やおら咲ける初花の泥雨にしをれたるに等しく、側に見る目さへ、くるしげにぞありける。是もニ三日経たれば、痘はかせぐちにて、雪解の峡土のほろほろ落つるやうに、瘡蓋といふもの取るれば、祝ひはやして、さん俵法師といふを作りて、笹湯浴びせる真似かたして、神は送りだしたれど、益々弱りて、きのふよりけふは頼みすくなく、終に6月21日の朝顔の花と共に、この世をしぼみぬ。母は死顔にすがりてよゝよゝと泣くもむべなるかな。この期に及んでは、行く水のふたたび帰らず、散る花のこずえにもどらぬ悔いごとなどと、あきらめ顔しても、思ひ切りがたきは恩愛のきづななりけり」と。

幼い我が子の死を、露の世と受け止めてはみても、人情に惹かれる気持ちを前に自ずと崩れてゆく。
「露の世ながらさりながら」には、惹かれたあとに未練の思ひを滓のやうにとどめる。

2013.01<今月の購入本>
◇篠田 正浩「河原者ノススメ―死穢と修羅の記憶」幻戯書房
◇江刺 昭子「樺美智子−聖少女伝説」文藝春秋
中谷宇吉郎「科学の方法」岩波新書
◇ローラ.カジシュキー「春に葬られた光」ソニーマガジンズ