岸本康弘の「竹の花」

朝から宝塚へ、安倉南の岸本おじさん宅に赴き、夕刻帰参。
役所の障害福祉課と介護保険課へ、M君と共に三人で出向いた
担当のケア・マネさんとも、一時間余か、いろいろと話し合った。
お互いに抱いていたであろう誤解や行き違いは、かなりほぐれたかに見える。
あとは、彼自身の意志しだい、忌憚なくハッキリと伝えることだ。
それを何度も確認し合ったうえで、別れてきた。

岸本康弘の「竹の花」−2006.07.04記

国内紛争の絶えないネパールのポカラで、学校に行けない最下層の子どもらのために、自ら小学校を作り、現地で徒手空拳の奮闘をつづけている車椅子の詩人こと岸本康弘は、20年来の友人でもあるが、その彼には「竹の花」と題された自選詩集がある。
その詩集の冒頭に置かれた「竹の花」の一節――、

少年のころぼくは粗末な田舎家で竹やぶを見やりながら悶々としていた
強風にも雪の重さにも負けない竹
六十年に一度花を咲かす竹。
半世紀以上も生きてきた今
ぼくも一つの花を咲かそうとしている
阪神大震災の時落花する本に埋まりながらストーブの火を必死で止めて助かった命
壊れた家をそのままにして、数日後機上の人になり
雄大なヒマラヤを深呼吸していた、太古に大地を躍らせて生まれたヒマラヤあの大地震も、の高山も天の啓示のように思えてきた。
それが語学校作りの計画へ発展していったのである。
  ―略―
初めは十三人で十日目には六十人になっていた。
薄いビニールの買い物袋に、ぼくが上げたノートと鉛筆を入れて、幼子が雨の竹やぶを裸足で走ってくる
ぼくは二階から眺めて泣いていた
こんな甘い涙は生まれて初めてのように思われる
帰国する前日、子どもたち一人々々が花輪を作りぼくの首にかけてくれる
おしゃか様になったね!と職員らがほほ笑む。
夜ヒマラヤを拝んだ
竹は眠っているようだった
螢が一匹
しびれが酷くなっていく手に止まった、その光で
ぼくの花が開く音がした

彼がこの詩を書いてより、すでに8年の歳月が流れた。
この8月で69歳を迎えるという彼は、生後1年の頃からずっと手足の不自由な身であれば、おそらくは、健常者の80歳、90歳にも相当する身体の衰えと老いを日々感じているはずだが、命の炎が尽きないかぎり、ポカラの子どもらとともに歩みつづけるにちがいない。
60年に一度きり、あるいは120年に一度きりとの説もあるが、一斉に花を咲かせ、種子を実らせて一生を終え、みな枯死する、という竹の花の不可思議な運命。それはこのうえなく鮮やかで見事な生涯でもあり、残酷に過ぎるような自然の摂理でもあるような感があるが、竹の花に擬せられたかのような岸本康弘の生きざまにも、また同じような感慨を抱かされるのだ。

2016.07―今月の購入本―2016年06 & 07月

◇大山誠一「天孫降臨の夢―藤原不比等のプロジェクト」 NHKブックス
里中満智子古事記 壱:」小学館 マンガ古典文学シリーズ
◇前山和宏「末期がん逆転の治療法」幻冬舎
水木しげる水木しげるの古代出雲」 角川文庫
◇中村啓信「新版 古事記 現代語訳付」 角川ソフィア文庫
◇武田英子「地図にない島へ」農山漁村文化協会

岸本おじさん、入院の大ピンチ!!

水曜日−今日も九条へやって来た車椅子の岸本おじさんと
いつもの鰻屋、そして、いつもの茶店で語らっていたのだが……
付き添ってきたガイドヘルパーの話によると、

岸本おじさんの担当ケア・マネさん――
入院治療を嫌がる彼に、とうとう業を煮やしたか、
どうやら強引に話を進めた模様で、
明後日に、入院措置を取るべしと、
病院への送迎を手配し、
おまけに病院には、彼の弟と妹を呼んでいるそうな……

コイツはなんとか対抗措置を取らなければならぬ。
急遽、明日は宝塚行き、だ――

―今月の購入本―2016年05月

◇梅原 猛「葬られた王朝―古代出雲の謎を解く」 新潮文庫
恵美嘉樹「日本の神様と神社―神話と歴史の謎を解く」 講談社+α文庫
◇孫崎 享「これから世界はどうなるか―米国衰退と日本」 ちくま新書
パウル・クレー「パウルクレーの芸術」 Kindle
モンドリアン.他「モンドリアン抽象絵画Kindle版-世界の名画シリーズ
高島俊男「漢字と日本人」 文春新書
◇大岡 玲「不屈に生きるための名作文学講義」ベストセラーズ
津田一郎「心はすべて数学である」文藝春秋
◇上妻純一郎「レンブラント大全」 Kindle

ちょうど十年前の一文だが

この間、まあいろいろと御座ったものの
あまり変わり映えはしない、ネ。

五十歩百歩、されど… −2009.01.08記

歳を重ねるごとに涙腺が弛む、なにかにつけて涙もろくなるというのは、どうやら当を得たことのようだ。
新しい年が明けたというに、新聞を見てもTVのNewsを見ても、どうにも暗い話題ばかりが眼につく昨今のご時世だが、それらの記事や報道ひとつに、はからずもつい涙してしまうことが、この頃ずいぶんと多くなった自分に、いまさら気づいては少なからず驚いたりしている。
はて、どうしてこんなにも涙もろくなってしまったのか、自分はこんなんじゃなかった筈なのに、伝えられる事件などの背後に潜む、その人の定めというか軛というか、そんなものが記事や報道から垣間見られたりすると、もう堪え性もなく涙してしまうのだ。
どう考えても若い頃はこんなじゃなかった。
自分というものを、兄弟であれ友人であれ先輩であれ後輩であれ、あるいは本のなかの虚構の人物であれ実在の人物であれ、他者とのあいだに共通項を見出すことなどそう容易にはありえなかったし、むしろ他者と区別すること、他者との異なりにおいて自分を見出そうとしてきたし、そうやって自分の像を作ってきたのではなかったか。
それなのに、もういつ頃からだろう、60歳を境にした頃からはとくに目立ってそうなってきたような気がするのだ。
考えてみれば、これはやはり、自分自身の人生観、その転変と大きく関わりがあるのだろう、と思える。そんな気がする。
自身の向後の人生が、これ以上のことはなにほどのこともなくほぼ定まっているかに見えてしまうようになった時、人は我知らずある諦観に達してしまうのだろう。
その諦観から、それまで自分とは大いに異なっていた筈の他者の人生が、そんなに違いを言いつのるほどのことじゃない、まあ五十歩百歩なんじゃないか、とそう受け止められるようになってくるのだろう。
そうなれば、無縁の他者に対してすらも同化しやすくなる、縁もゆかりもない他者の出来事にもかかわらず、その定めや軛に思わず感情移入してしまい、ついつい涙することも多くなる、ということか。
ある種の諦観や達観を境にして、たいした違いじゃない、五十歩百歩なのさ、というのも一方の真理なのだろう。
さりとはいえ、小さくとも違いは違い、その小異が大きな意味を持つ、というのもまた真理なのだろう。
願わくば、その両方に跨って大きく振れながら、残された命を生きたい、と思う。

−今月の購入本−2016年04月

◇「河北新報のいちばん長い日―震災下の地元紙」 文春文庫
朝日新聞社東日本大震災―報道写真全記録2011.3.11-4.11」朝日新聞出版
◇「ミケランジェロ画集」Kindle版-世界の名画シリーズ
◇「カラヴァッジョ画集」Kindle版-世界の名画シリーズ
◇雑誌「芸術新潮 2016年 04 月号」
◇ジル・ドゥルーズ「差異と反復」河出書房新社

「サピエンス全史文明の構造と人類の幸福」を読了

N夫妻から年始の挨拶を兼ねた昼食の誘いだった。
谷町9丁目から鶴橋へと向かう、小橋町交差点を越えてまもなくの処
焼肉と冷麺の店だった。

家族3人で出かけたのだが
JunkoもKaorukoもしっかりと食べたものだから
晩ご飯は抜きとなった――

「サピエンス全史<上>文明の構造と人類の幸福」を読了

著者の拠って立つところ、その史観には大いに共鳴・共振できるが
同心円を螺旋様に進むが如き論述は些かくどく、時に辟易とさせられるものあり。

2016.03―今月の購入本―2016年03月

◇小島英記「幕末維新を動かした8人の外国人」東洋経済新報社
◇スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り―未来の物語」 岩波現代文庫
上田正昭「渡来の古代史―国のかたちをつくったのは誰か」 角川選書
堀口大學「月下の一群」 講談社文芸文庫

<鏡の魔術>−2011.07.09記

「壁の間に影は重く沈む/そしてわたしはわたしの鏡のうちへと降りる
 /死者がその開かれた墓へと降り行くように」−ポール・エリュアール
「鏡の中に/わたしは見る/夢を鏡の中の夢を夢見る/やさしい男を」−E.E.カミングズ

表現主義・超現実主義芸術にあっては、
反映するものと反映されるもの、映像と歪曲―鏡映の類は枚挙にいとまがない。
鏡の隠喩-メタフオー-は、古代以来、文学にはしばしば見受けられる。
とりわけヘレニズムと中世期に愛好された。
盛期ルネツサンス以後、「マニエリスム」において、
この隠喩は、不安、死、時間のモテイーフと同様に、殆どひとつの幻覚とまでなる。
レオナルド・ダ・ヴィンチ は、ローマ滞在中、八角形の鏡の間を構築しようとした。
視覚の迷宮である。

パルミジャニーノ-Parmigianino-こと、フランチェスコ・マッツォーラというパルマ生まれの男が、
1523年、凸面鏡を前にして、一幅の奇怪な自画像を描いた。
  −Photo「凸面鏡の自画像」
仮面美を思わせる少年の貌は、なめらかで測り難く、謎めいている。
表面の分解を通じて、それはほとんど抽象的な印象をさえ喚起する。
凸面鏡による遠近法の歪曲の中で、画面の前景を、
一個の巨人症的な、解剖学的にはもとより不可解な手が占めている。
部屋は眩暈を起こさせるような痙攣的な動きの中に展開する。
窓はそのごく一部分だけが、わずかに、やはり歪んだ形で見えていて、
それが弧状の長辺三角形を形づくっており、光と影がそこに異様な徴を、
驚異を喚び起こす象形文様−ヒェログリフを生みなしているように見える。
このメダル状の形をした画面は、機略縦横の才智を生む定式の解説図の用をなしている。
それは、当時の概念を援用していうなら、
才気煥発の綺想体−Concetto、すなわち視覚的形態における鋭敏な先端絵画である。

時あたかも、マニエリスムの名をかちえた、新しい、一世を風靡する様式、その初頭にあたっていた。
以来150年間、この先端芸術は、ローマからアムステルダムに到るまで、
マドリードからブラハに到るまで、時代の精神的社会的生活を決定することになったのである。

マニエリスムはヨーロッパ文学のひとつの常数」
また「あらゆる時期の古典主義への相補現象である」−E.R.クルティウス

古代より<五つのマニエリスム的時代>があった。
・アレクサンドレイア期/BC350―BC150頃
・ローマの白銀ラテン時代/AD14―138頃
・中世初期、とりわけ中世末期/1520―1650に及ぶ「意識的な」マニエリスム時代
・ロマン派運動期-1800―1830
・そして現代直近の1880―1950の時代
これらの時代、そのマニエリスム形式は、いずれもはじめは「擬古典主義」に捕らわれているが、
やがてその表現衝動を強化していく。
それは「表現的」になり、ついには「歪曲的」「超現実的」「抽象的」になっていく。
―G.R.ホッケ「迷宮としての世界−上」岩波文庫より

―今月の購入本−2016年01 & 02月

磯田道史「無私の日本人」文春文庫
磯田道史武士の家計簿―<加賀藩御算用者>の幕末維新」新潮新書
◇雑誌「使える! 数学」週刊ダイヤモンド 2016年1/23号
◇楊 海英「日本陸軍とモンゴル―興安軍官学校の知られざる戦い」 中公新書

一日中、家から一歩も出ず

レーヴィの「アウシュヴィッツは終わらない−これが人間か」朝日選書を
やっと読み了えたが
読書三昧かといえば、それほどのこともなく
なんだか、倦怠気味の、長い一日だ……

―今月の購入本−2015年10 & 11月

宮本常一「忘れられた日本人」ワイド版 岩波文庫
◇「日本残酷物語」 旧版 全5部+現代篇2部 計7冊 平凡社
◇杉山 春「ルポ 虐待:―大阪二児置き去り死事件」 ちくま新書
◇桐山 襲「パルチザン伝説・コペンハーゲン天尿組始末」電子本ピコ第三書館販売

未だ改装の工期定まらず

拠って、
完成Openがいつのことになるやら――


10時半頃、携帯が鳴った
岸本康宏宅からだ、九条に来るという
新年早々だが、二週間ぶりだし
話したいことはいろいろとあるにちがいない……

新年早々の四日−岸本康弘はいつものように九条へ
いつものように林田鉄と会い、共に時間を過ごす
そしていつものように鰻重に舌鼓――

身体の不自由な彼は、発話もままならぬから
こうして、伝えたいことをワープロで書面にしてくる

林田様

いつも有難うございます。
いよいよ手の指も動きづらくなって来ました。
つらいことですが仕方がありません。
わが人生の最後の事業に挑んで行こうと思います。
十代からの短歌を選んで歌集を発刊します。
散乱していますので探すのに大変です。
詩集はあと一回、新しいものを出したいと思っています。
今までの中であまり気に入ったものがないので、是非そうしたいです。
それを終えて死にたい。あと一年ほどです。
いずれにしても資金がないのが悲痛です。
屋敷を抵当にしたいです。
とにかく踏ん張って努力するのみです。
ご支援、お願い致します。

  十二月二十八日             岸本康弘


―今月の購入本−2015年08 & 09月

鶴屋南北東海道四谷怪談岩波文庫
田中貢太郎「南北の東海道四谷怪談Kindle
野呂邦暢「失われた兵士たち―戦争文学試論」文春学藝ライブラリー 文藝春秋
宇野邦一ドゥルーズ 流動の哲学」 講談社選書メチエ
宇野邦一ドゥルーズ―群れと結晶」 河出ブックス 河出書房新社
◇「自由自在-中学-」数学.国語.理科.社会.英語―受験研究社