物まねの品々、筆に尽し難し


風姿花伝にまねぶ−<10>


「物学(ものまね)条々」

 物まねの品々、筆に尽し難し。
 さりながら、此道の肝要なれば、その品々をいかにもいかにも嗜むべし。
 およそ、何事をも、残さず、よく似せんが、本意なり。
 しかれども、又、事によりて、濃き淡(うす)きを知るべし。
 先(まづ)、国王・大臣より始め奉りて、公家の御たゝずまひ、武家の御進退は、及ぶべき所にあらざれば、十分ならん事難し。
 さりながら、能々(よくよく)、言葉を尋ね、品を求めて、見所の御意見を待つべきをや。
 その外、上職の品々、花鳥風月の事態(ことわざ)、いかにもいかにも細かに似すべし。
 田夫野人の事に至りては、さのみに細かに、賎しげなる態をば、細かにも似すべからず。
 仮令(けりょう)・木樵(きこり)・草刈・炭焼・汐汲などの、風情にもなるべき態をば、細かにも似すべきか。
 それより猶賎しからん下職をば、さのみには似すまじきなり。
 これ上方の御目に見ゆべからず。若(もし)見えば、余りに賎しくて、面白き所あるべからず。
 此あてがひを、能々心得べし。
 似事(にせごと)の人体によりて、浅深あるべきなり。

申楽の道を修する根本は「二曲三体」にあり、といった世阿弥
「物学条々」において、各々九つの風体について如何になかべきかを説く。
即ち、女・老人・直面・物狂・法師・修羅・神・鬼・唐事の九体である。
此処では、その九体を書き分けるに先立ち、前提となるべき基本的なあり方を説いている。

ここでは、力点を田夫野人の物まねに置くとしたほうが良いのではなかろうか。
「風情にもなるべき態」としての田夫野人の者たちの職のそれぞれ。
「遊びをせんとや生まれけむ」の「梁塵秘抄」をひくまでもなく、
催馬楽などの古謡が今様として変容されとりこまれ、貴族の謡い物となってゆく宮廷人たちの風流意識をみれば、ここには「いかに貴を脱して貴たり得るか」の詩精神がある、といえるだろう。
真に「貴」たるものの魂とは、野にあることを喜び、「鄙び」の情緒を磨き上げつつ、
「貴」の世界へと昇華してゆこうとすることのようにみえる。

<猿楽から申楽へ>
11世紀半ばには、すでに「新猿楽談義」という書があったという。著者は藤原明衡。
この頃の猿楽は、滑稽・曲芸の類が主であった。
「猿楽の態、鳴呼(おこ)の詞、はらわたを断ち頤(おとがい)を解かずといふことなし」という有様だから、常軌を逸するほどの戯れ事を演じて笑いの座興とするのが、その芸の本領だったろう。
猿楽から申楽へ、「新猿楽談義」の11世紀半ばからでも世阿弥に至るまで三百年の時を経て、
ものみな笑い興じる座と化した鳴呼の芸から、夢幻能の幽玄美にいたる形式にまで、その芸質を変容させてきた展開には幾たびの飛躍があったろうか。

 参照「風姿花伝−古典を読む−」馬場あき子著、岩波現代文庫


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