あうたりわかれたりさみだるる

水底の歌―柿本人麿論 (下)




<古今東西> 


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<相聞の歌に隠された悲劇>


嘗て、梅原猛氏が「柿本人麿の死は、賜れた死、すなわち刑死であった」と、
かなり衝撃的な説を述べた長大な書「水底の歌」を読んだ。
もう20年以上遡ることで、その頃の集英社発行の季刊「すばる」誌上だった筈。
枝葉末節はほとんどすでに忘却の彼方だが、
万葉集巻二の、石見の国にて人麿が臨終の折に詠んだ歌一首に、
妻依羅娘子が人麿の死を偲んで詠んだ歌二首、
さらに、丹比真人なる者が人麿の代わりに応えて詠んだ歌一首と、
何故か昔よりここに添えられているという作者不詳の歌一首、
この五首構成からなる件をどう読み解くかが、論の中心だったと記憶する。
以下、その件を万葉集巻二より引用転載するが、
そこからどんな悲劇の面影が立ち顕れてくるか、とくとご鑑賞を。


   柿本朝臣人麿の石見国に在りて臨死(みまか)らむとせし時に、
   自ら傷みて作れる歌一首
鴨山の岩根し枕(ま)けるわれをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ


   柿本朝臣人麿の死(みまか)りし時に、
   妻の依羅娘子(よさみのおとめ)の作れる歌二首
今日今日とわが待つ君は石川の貝に交じりてありといはずやも


直(ただ)の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ


   丹比真人の柿本朝臣人麿の意(こころ)に擬(なぞ)へて
   報(こた)へたる歌一首
荒波に寄りくる玉を枕に置きわれここにありと誰か告げなむ


   或る本の歌に曰く
天離(あまざか)る夷(ひな)の荒野に君を置きて思ひつつあれば生けりともなし
   右の一首の歌は作者いまだ詳らかならず。
   ただ、古本、この歌をもちてこの次に戴す。


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