燃えに燃える火なりうつくしく

20050720

<古今東西−書畫往還>


<おもしろうて、やがてかなしき‥‥、ひねくれ一茶>


これまでそれほど興味を示さなかったことに、ひょんなことからどうしても知りたくなったり、強い関心が惹き起こされる場合がときにあるものだ。
ひとつきほど前か、「これがまあ終の栖か雪五尺」と詠んだごとく、五十路になってから、義母や義弟とさんざ遺産相続で争った挙句、江戸から故郷信濃の生家に移り住んだ一茶の晩年が、近在から若い妻女を娶り「おらが春」をめでたくもたのしく謳歌したものとばかり思っていたら、老いらくの身にせっかく授かった四人の子どもを次から次へとはかなくも早世させ、おまけに妻女にも先立たれ、さらに二度、三度と後添いとの暮しに執しつづけ、六十五歳をかぞえてなお三度目の妻女にはからずも宿った子どもの誕生を待たずにコロリと往生した、というなんともいいがたい宿業にまみれにまみれたその生涯に、どうしても触れてみたくなったのである。
そこで、何を読むべきか少しばかり探索してみて、田辺聖子「ひねくれ一茶」を選んだのだが、これはこれで正解だったようだとは読後の第一感。文庫本で640頁の長編だが、よく書けた手練れの一茶物だといえるだろう。
竹西寛子が書評にて「絶妙に配置されている一茶の句は、配置そのものが著者の鑑賞眼を示していて、それはすでに創作の次元にまで高まっていた鑑賞だということがよく分る。」というように、全22章の至るところに一茶の句が散りばめられて、その壮年から晩年へと、俳諧宗匠として立つべく江戸での千辛万苦の奮闘ぶりから、義母や義弟との相続争いを経て、不幸つづきとはいえ故郷信濃にやっと落ち着きを得た一茶晩年の暮らしぶりに、風狂に徹した反骨精神の凄まじいまでの生きざまが、決して重苦しくなることなく描き出されていて、一気呵成に読み継がせてくれる。
生涯に2万余句を残した一茶とは、まさに、吐く息、吸う息のごとくに句が生まれ出た、というにふさわしかろう。
漢籍の教養をもたぬ田舎者、無学の一茶が、当時の江戸において俳諧宗匠として立机するのはやはりどうしても無理があったのだろう。いやそれよりは己に正直すぎた由縁か、月並みの点取り俳句にその身をおもねることもできる筈もなかったろうに。


 名月や江戸のやつらが何知って
江戸の奴らが何知って、とはよくぞ言い切った。信濃の山猿なればこその吟懐がある、風流があるの心意気。
 葛飾や雪隠の中も春の蝶
余人の真似手のない見事な赤裸の心は嘗てありえなかった俳諧の美を際立たせる。
 擂粉木(すりこぎ)で蝿を追ひけりとろろ汁
当意即妙の吟にも材の付合いに一茶の真骨頂があるとみえる。
 江戸の水飲みおほせてや かへる雁
江戸の水、江戸のなんたるか、40年にわたる江戸生活のすべてを飲みおおせて、故郷へいざ還りなむとす。


以下、寸鉄の如く心に響いた句をいくつか挙げておく。
 古郷や近よる人を切る芒
 天に雲雀 人間海にあそぶ日ぞ
 死にこじれ死にこじれつつ寒さかな
 五十婿 天窓(あたま)をかくす扇かな
 這へ笑へ二ツになるぞ今朝からは
 死に下手とそしらばそしれ夕炬燵
 花の世に無官の狐鳴きにけり


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