身にちかく水がながれくる

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    「うしろすがたの山頭火」より

<四方の風だより>


<加齢もまた芸の肥やしとなるか−琵琶五人会>


22日、金曜日の夜、文楽劇場の小ホールの「琵琶五人会」に行った。
毎年この時期に開催され、今年はもう16回目とある。
この世界に些か縁ができてもう五、六年になるだろうか。
それからほぼ欠かさず聴くことにしているが、
今年の演目は、NHK大河ドラマが「義経」のせいか、
平家物語のなかでも義経ゆかりのものばかりを選んでの会となっていた。
それも時代順に配列されるという心配り。
先ずは、薩摩琵琶の中野淀水氏の「鞍馬山
五条大橋での弁慶との対決前の牛若丸時代である。
続いて、同じく薩摩琵琶で杭東詠水氏の「鵯越(ひよどりごえ)」
ご存知源平一の谷合戦の奇襲、鵯越の逆落としのくだりである。
三番はやはり薩摩琵琶の加藤司水氏の「舟弁慶
能でもよく知られた曲だが、頼朝との不和から西国へと逃れる義経主従が、平家滅亡の壇ノ浦で知盛の亡霊に襲われるが、弁慶の折伏で難を逃れるという語り。
四番は筑前琵琶の竹本旭將氏の「安宅の関
これまた能の「安宅」や歌舞伎の「勧進帳」としてつとにお馴染みだが、奥州平泉へと逃れる山伏姿の義経主従が、安宅の関所にて関守の富樫に見咎められ、弁慶の機転で無事に通過するという一段。
最後に紅一点、筑前琵琶の奥村旭翠氏の「衣川」
義経終焉の地平泉は衣川の館と伝承されるが、頼朝の意を汲んだ藤原泰衡に襲われ悲劇的最期を遂げる義経主従の語りである。


昨年の会でも感じいったたことなのだが、やはりこういった語り物ともいうべき伝統の芸は、年期が物言うとともに実際の加齢もまたあなどりがたく、枯淡の味わいを深くするものである。
語りの確かさは瞑目するところであったが、決して達者、巧者と思えなかった旭將氏の語りが、加齢のせいか、剛から柔へと変化を遂げ、枯淡の味わい色濃くなっているのが印象深かった。
加齢とは、余分な執着を脱するに、必要欠くべからざる条件ではあるか、と思う。


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