入日まともに人の家焼けてくづれぬ

041219-048-1
Information「四方館 Dance Cafe」


<言の葉の記>


<秋の色>


仲秋の名月はまだ先のことだが、昨夜、ふと夜空を見上げると大きく月は満ちていた。
残暑のなかにも秋の色、しのびよる気配が其処此処に感じられ垣間見られるようになった。
秋色の候である。
風鈴は夏の風物詩だが、夕暮どきの風のそよぎに鳴る音を聴けば、秋はもうそこまできていると告げているようにも思われる。
幼な児を迎えにいく保育園の傍で聴こえてくる樹々の葉陰で鳴く雀の声などにも、なぜだか秋の気配を感じているわたしが居る。
青空にたなびく雲のすがたにも秋の気配は満ちている。まだまだ暑いとはいえ炎天といい酷暑というには少しばかり違和があり、直射のなかにさえ仄かなやさしさも感じられる。
そういえば秋光とはこういうものかもしれない。
秋色、秋の色、秋光はもちろん季語でもあるが、同様に、秋容、秋望、秋景色などもある。
いずれも秋の気配であり、風光であり、気分である。

十干十二支をひとめぐりして、この夏わたしは満一歳の赤児となった。
年初から春へ、春から夏へと、なぜだかわからないけれど、貪欲な想いに衝き動かされるような、或いはなにやらあらたな憑きものを我知らず求めているような、そんな感覚を抱きつつずっと日々をおくっている気がする。
満一歳の赤児なら、もうみずから二本の足で立ってよちよちと歩きださねばならない頃なのだが‥‥。
さて。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。