年とれば故郷こひしいつくつくぼうし

uvs050420-096-1

<四方の風だより>


<小劇場、芝居小屋をつくろう>


 9月4日、K師の三回忌に集う会が夫人主催の形で行なわれた。
奈良学園前の稽古場にて午後1時に5分ほど遅れたが、なんとか開始には間に合った。
大勢すぎる、6間×7間の稽古場に人、人があふれかえっている。
百二三十、いや百五十人ちかく集まったかもしれない。
いざ案内を出していくと、あの人もこの人もと、当初予想よりずいぶんとふくれあがったのだろう。
日高テルさんも来た。7期の竹田さんが同期生3名を伴っていた。上柴さん、金子夫人、中原喜郎夫妻、それに時さんと雅子夫婦。松田智恵さんは帰りがけに「山頭火、よかつた」と声をかけてくれた。昨年の市岡のに来てくれていたのだ。常連スタッフ連は、建築の安原秀、染色の千葉綾子、照明の新田三郎、それに野方君、山城武、矢野君、伊藤茂、升田光信、藤井君。研究生の古いところは、浜口慶子とその一統は森島栄子と平山佳子、高山明美、神原(梯)栄子、奥田(波種)房子。こうしてみると名前と顔が結びつくのは意外に少ない。
まずは、40分間ほどの研究生たちによる作品の鑑賞。
室内に入ると息苦しいほどの混みようだから、外から眺めることにした。そのほうがよほどリラックスできるというもの。
前2曲は研究生の作品、最後におなじみ「出かけるシンフォニー」。
演目が終わると、矢野君準備の料理が持ち込まれて、宴のはじまり。
山城君がK師生前の映像を会場に流す。つづいて延々と古い作品や稽古場風景などが映し出される。それを観ながらあちこちで談笑の渦、渦。
中締めが3時半頃だったか、ぼつぼつと去りゆく者あれど、半減するのに一時間はかかったろう。片付けにかかりだしたのはもう5時近かった。
茂子夫人に古書で手に入れた田辺聖子の「ひねくれ一茶」を手渡してお別れ、伊藤一家を学園前の駅まで乗せて、家路に着いた。


 席上、ひとつだけ大きな収穫があった。伊藤君がいよいよ小劇場をやりたいと本気で言い出してきた。いろいろ話しているうちに、安原さん関係の「都住創」の小空間が有力候補としてもちあがってきた。所有者側にとっては持ち腐れの経費負担ばかりとなっているらしいから、どうやら渡りに船のこととなりそう。スペースは30坪位、手ごろな広さではあるが、たしか少し異形だったような気がする。現場を再確認する必要はあるが、とても現実味のある話だ。伊藤君は主要スタッフにスペースゼロをやっていた古賀・宮本ラインを想定しているから、彼らをメインに据えればスタッフにはこと欠かないし、運営上の不安も小さい。小劇場を仕掛けていく必要条件は十全といえないまでもかなりのネットワークを形成できるだろう。3年で一応の軌道に乗せて、5年で関西の演劇拠点の一つにつくりあげることは可能ではある。実年・初老世代の叛乱としてもおもしろいではないか。
この話、イケイケドンで進めるべし。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。