誰が秋にあらぬものゆゑ‥‥

Nakahara050918-038-1

Information<四方館Dance Cafe>


−今日の独言−

まだまだコップのなかの嵐。
 突然の関市長辞任劇から、大阪市長選挙は告示を前にいよいよ混迷の度を深めてきている。
自民市議4期目の元吉本タレントの船場太郎が出馬表明をしたが、どうやら自民党市議団も一枚岩ではないようだ。自民はあくまで自・公推薦の統一候補を望ましいとし、船場では公明の理解が得られそうもない。辞任から再出馬へと騒動の仕掛人関淳一は民主も加えた自・公・民推薦を期待しているが、民主の背後には市職労組の影が濃いとして、自・公が同調する気配はない。
もともと今度の市長辞任劇は、政治的読みの弱い行政あがりの関自身、与党会派の各党がどう動くかを読み切った上でのことではなく、進退極まった感で大鉈を振るったにすぎないところがある。些か辛辣な謂いをすれば、窮鼠猫を噛むに近い。彼自身、新たな出発を唱え、財政改革にヤル気を見せてはいるが、選挙の洗礼で矢つき倒れ付すもよしとしている節があるのではないか。自らまな板の上にのる鯉を演じきるには、開き直ったような覚悟だけではなく、周到な読みがなにより肝要だが、端からそれが感じられないのが、選挙騒動を混迷させている大きな因だろう。
それにしても、この騒ぎ、まだまだ市庁・議会のコップのなかの嵐でしかないというのが致命的で、このままでは市民を広く巻き込んだ嵐となる気配に乏しく、市民のなかに深く潜むマグマに誰も火を付けられそうにない。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−18>

 誰が秋にあらぬものゆゑ女郎花なぞ色に出でてまだきうつろふ   紀貫之

古今集、秋上、朱雀院の女郎花合せに詠みて奉りける。
初句、二句の「誰が秋にあらぬものゆゑ」は後世によく採られている。邦雄曰く、他人の秋ならずわが秋、飽きもせぬものを、の意が透けて見えるように隠された、四季歌に恋の趣を添えている、と。「まだき」は、早くも。


 ほのかにも風は吹かなむ花薄むすぼほれつつ露に濡るとも   斎宮女御徽子

新古今集、秋上、題知らず。
心ない風に吹き結ばれた花薄(すすき)が、心ある風に吹き解いて欲しい、と望み訴えているのが歌の意。邦雄曰く、縺れてぬれている花薄はすなわち作者の心、微風を待ち望む「吹かなむ」は、天来の便りを待つ趣。喪中にあって、村上帝の音信を仰ぐべくものした一首とも伝える、と。


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