ともにこそあやしと聞きし‥‥

051023-157-1
Information<四方館Dance Cafe>

−今日の独言−

子どもたちの甲高い声が鳴り響いている。
今は四時限も終わって給食の時間なのだ。
ベランダの洗濯物には秋の陽射し。
遠い雲は白々と霞み、先刻までの微風もはたと止んで、
子どもたちの声が遠ざかる。
きっと給食を終えて、みんな運動場へ飛び出していったのだろう。
二車線の、さして広くもない道路を挟んで、対座している
加賀屋東小学校の校舎と高層マンション五階の我が家。
クルマが一台、かなりのエンジン音をたてて、西から東へと通りすぎていった。
あれは、きっと、
このあたり便も少なくなった、市バスにちがいない。
子どもたちの声は、やはり、遠くなったままに、
時折、みじかい歓声の尻尾だけが、耳に届く。


と、時報が鳴った。
さて、いまから、なにをしようか。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−23>

 ともにこそあやしと聞きし夕べなれはかなやひとり露も忘れぬ  三条西實隆

雪玉集、秋恋。
邦雄曰く、初句「ともに」と第四句「ひとり」の間に、二人の愛は流れ、移ろった。記憶は消えず、秋がまわれば涙を誘われるのだ。溢れる思いと言葉を削り、つづめにつづめて、最後に残った三十一音。優に一篇の、あはれ深いロマンを創りうるような、豊かな背景を思わせる、と。


 おほかたの露には何のなるならむ袂に置くは涙なりけり  西行

千載集、秋、題知らず。
草木に置かれた朝露夕露は大空の涙か、わが袂に降るのは人の世に生きるゆえの悲しみの露か。
邦雄曰く、秋思の涙と解するのが通説だが、もっと広く深く、無常に通ずる思いであり、それも秋なればと考えよう、と。


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