夜もすがらひとり深山の‥‥

N-040828-017-1
Information<四方館Dance Cafe>

−今日の独言−

歌枕、知るや知らんや
 またも丸谷才一の「新々百人一首」を引いての話題。室町期の歌人正徹はその歌論書に「吉野山いづれの国ぞ」と問われれば「ただ花にはよしの、もみじには竜田と読むことと思ひ付きて、読み侍るばかりにて、伊勢の国やらん、日向の国やらん知らず」と応ずるのがいい、と云っているそうな。要するに王朝歌人たちにとって、歌枕として詠まれる各地の名所旧跡の風景は、彼らの心の内にある幻視の空間で、未だ見ぬも委細構わず現実の地図の上にはないも同然なのである。
本書で丸谷は、藤原為家の詠んだ「くちなしの一しほ染のうす紅葉いはでの山はさぞしぐるらん」の解説で、この歌では「いわでの山」が歌枕だが、それが陸奥にあるとも攝津にあるとも説があり、いずれとも明らかでないとし、その考証に深入りするよりも、「いはで」の語が「言わずして」の意に通うせいで、歌の心としては「忍ぶ恋」を詠むのに王朝歌人たちに好まれ用いられたのだ、と教えてくれる。そういえば、初句「くちなしの」は四句・結句と響きあって、一首の見立てが忍ぶ恋に泣き濡れているさまにあることが判然としてくる。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−35>

 夜もすがらひとり深山の槙の葉に曇るも澄める有明の月  鴨長明

新古今集、雑、詞書に、和歌所歌合に、深山暁月といふことを。槙の樹々に遮られてはっきりとは見えなかった秋の月が、やがて暁の頃ともなれば処を得て、冴え々々と映え輝く。邦雄曰く、第四句「曇るも澄める」の秀句は時として、作者の真意を曇らす嫌いもあろうか。長明特有の、ねんごろな思い入れを味わうか否かで、評価も分かれる。時間の推移によって「澄める」とは、直ちには考えにくい、と。


 影ひたす波も干潟となる潮に引きのこさるる半天の月  岡江雪

江雪詠草、浦月。戦国期16世紀末、北条家家臣、後に徳川家康に旗本として仕える。邦雄曰く、干潮時の海面に映る中空の月が、次第に干潟に変る潮の上に「引きのこさるる」とは、さすがに嘱目が人の意表をつき、細を穿っているか。表現の細やかさも、いま一歩で煩くなる寸前に止まる。結句「半天の月」がきわだって佳い、と。


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