思へども人の心の浅茅生に‥‥

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−今日の独言− 定家百首

 塚本邦雄の「定家百首−良夜爛漫」は見事な書だ。
「拾遺愚草」3564首を含む藤原定家全作品四千数百首の中から選びぬいた秀歌百首に、歌人塚本邦雄が渾身の解釈を試みる。
邦雄氏の本領が夙に発揮されるのは、一首々々に添えられた詩的断章だ。
一首とそれに添えられた詩章とのコレスポンデンス=照応は、凡百の解釈などよりよほど鑑賞を深めてくれる。
たとえば、百首中の第1首ではこうなる。


見渡せば花ももみぢもなかりけり浦のとまやのあきの夕ぐれ

 上巻「二見浦百首」の中、「秋二十首」より。新古今入選。


   はなやかなものはことごとく消え失せた
   この季節のたそがれ
   彼方に 漁夫の草屋は傾き
   心は非在の境にいざなはれる
   美とは 虚無のまたの名であったろうか


以下、成立背景なり、古来からの評釈なりに、時に応じ言及しつつも、あくまで一首の表象世界にこだわりぬいた歌人塚本邦雄ならではのコトバのタペストリー=織物が眼も綾に綴られていく。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬−5>
 思へども人の心の浅茅生に置きまよふ霜のあへず消(け)ぬべし  藤原家隆

千五百番歌合、恋。保元3年(1158)−嘉禎3年(1237)。藤原光隆の子。従二位宮内卿。定家と並び称される俊成門の才。和歌所寄人、新古今集の選者。後鳥羽院の信任厚く、隠岐配流後の院にも音信絶たず。
邦雄曰く、定家・千五百番歌「身をこがらしの」と双璧をなす秀作。忍ぶ恋の儚さ虚しさを、結ぼうとしても結びきれぬ霜の結晶に譬えて、無情な思われ人の心を浅茅生とした。下句「置きあへず消ぬべし」の初めを断ち「まよふ霜の」と挿入したあたり、凄まじい気魄がみえる、と。


 さびしさは色も光もふけはてて枯野の霜にありあけの月  亀山院

新続古今集、冬、野冬月といふことを。建長元年(1249)−嘉元3年(1305)。後嶬峨院の皇子、兄後深草天皇の譲位を受けて践祚大覚寺統の初めとなった。
邦雄曰く、単純な初句が冬景色の侘しさを写して「色も光も」の畳みかけが生きている。錆銀色に輝く月を「ふけはてて」と強調し、老巧な冬歌となった、と。


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