を初瀬の鐘のひびきぞ‥‥

051127-115-1
Information−Aliti Buyoh Festival 2006−

−今日の独言− 神とパースペクティヴと

 人間に不可能な認識がある。それはパースペクティヴをもたない認識、すなわち無観点の認識である。神に不可能な認識がある。それはパースペクティヴによる認識、すなわち観点による認識である。身体をもたない純粋精神としての神は、われわれが認識するような遠近法的な世界を知ることは決してないであろう。
 ここは私の現存する場所である。神にとってここはなく(もしあるとすれば神は有限である)、神はここにあると同時にあそこにもある、つまりいたるところに偏在するか、あるいはここあそこを超越しているかのいずれかでなければならない。奥行きとか遠近は、ここからあそこへのへだたりであるから、神にとって奥行きや遠近は存在しない。
 いまは私が現存する時である。神にとっていまはなく(もしあるとすれば神は有限である)、神はいまにあると同時に、まだない未来にも、もはやない過去にも遍在するか、あるいはそれらを超越しているかのいずれかでなければならない。時間的なパースペクティヴは、いまから未来への、またいまから過去へのへだたりを前提するから、神にとって時間的なパースペクティヴは存在しない。パースペクティヴは有限者に固有の秩序である。
 ここに現存する有限者の視点に応じて、分節化された世界があらわれる。別の仕方で分節化された世界はありうるけれども、パースペクティヴによって分節化されない世界はありえない。それは仮説的な理念(神の眼)ではあっても、現実的な実在ではない。パースペクティヴは、実在を構成する一要素であって、恣意的な主観的解釈ではない。
    ――市川浩著「現代芸術の地平」より


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑−8>
 を初瀬の鐘のひびきぞきこゆなる伏見の夢のさむる枕に  宗良親王

李花集、雑、歌詠み侍りしついでに、暁鐘といへる心を詠み侍りける。応長元年(1311)−没年未詳(1389以前?)。後醍醐天皇の皇子、母は二条為世の女為子、兄に護良親王尊良親王ら。政争に翻弄される生涯ながら、幼少より二条家歌壇に親しみ、二条為定との親交厚く、北畠親房らも歌友。南朝歌人の作を撰集して「新葉和歌集」を撰す。自歌集「李花集」
「初瀬」は大和国の歌枕で「果つ」を懸けて、ほのかに迷妄の夜の終りを暗示。この「鐘」とは長谷寺の鐘かと察せられる。「伏見」は現京都伏見ではなく、奈良菅原の伏見の里であろう。
邦雄曰く、私歌集の名には美しくゆかしいものが数多あるが、「李花」はその中でも殊に優雅、作者の美学を象徴するか。「伏見の夢」のなごり、後朝の趣もほのかに、暁鐘の冷え冷えとした味わいは十分に感じられる、と。


 逢ふ人に問へど変らぬ同じ名の幾日になりぬ武蔵野の原  後鳥羽院下野

古今集、羇旅、名所の歌詠み侍りけるに。幾日−いくか。生没年未詳、13世紀の人。日吉社祢宜の家系に生れ、後鳥羽院に仕え、院近臣の源家長に嫁す。新古今集初出。
邦雄曰く、行けども行けども果てを知らぬ曠野、もう抜け出たかと思い尋ねるのだが返事はまだ「武蔵野」。題詠で実感以上に鮮やかに描いた誇張表現が嬉しくほほえましい。女房名の「下野」も併せて味わうべきか、と。


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