寂しさを訪ひこぬ人の‥‥

051127-114-1
Information−Aliti Buyoh Festival 2006−

−今日の独言− 光が射した!?

 ADSLから光にやっと変ったが、なかなかに手間取るものだ。以前、ADSL同士だったけれどプロバイダーを乗り換えただけでもトラブルやらセットアップやらでずいぶん手を焼いて、所詮はメカ音痴の不甲斐なさばかり身に沁みたものだったが、此の度は、機器の取付からセットアップまで向こう様からわざわざ出張ってくれるのだから安心と、高を括っていたら豈に図らんや。本来なら暮の27日だったかにセットアップして、正月はご来迎でもあるまいがめでたく光スタートとなる筈だったのに、取付に来た若い派遣技師が付け焼刃のアルバイト学生だったのだろう。マニュアルどおりの事しかご存知ないようで二時間ほどもすったもんだした挙句、すごすごと退散する始末に此方もなかば呆れつつも激昂。カスタマーセンターとやらに電話で長々と猛抗議。ADSLのほうは12月末で解約手続を済ませているのだから、我ながら怒り心頭も無理はないだろう。
 昨日、やってきた技師はさすがにそれらしき人だったが、彼曰くは、電話回線の不良チェックのみが仕事の領分で、機器の取付やセットアップに関しては別業者の者があらためて派遣されるだろうというので、またも面食らってしまった。その彼が良心的に光回線でネット接続のチェックもしてみせてくれたから、あらためて頼りないアルバイト技師を待つまでもないと、彼の帰ったあと、門前の小僧よろしく自分で取り付けることにした。ずいぶんと老け込んだ小僧だけに時間のかかること夥しいが、どうにかセットアップ完了。
 年を跨いでまことに人騒がせな始末だが、やっと我が家にも光が射した!?


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬−21>
 寂しさを訪ひこぬ人の心まであらはれそむる雪のあけぼの  宮内卿

新続古今集、冬、正治二年、百首の歌に。生没年未詳。後鳥羽院宮内卿とも。13世紀初頭、後鳥羽院に歌才を見出され出仕、院主催の歌会・歌合に活躍した、早世の女流歌人
訪ひ−とひ。雪深い山里にひとり侘住居の寂しさに、決して訪れてはくれぬ男の心なさのように、明け方、一面の真っ白な雪景色があらわれはじめた。
邦雄曰く、心あるなら雪を踏み分けても訪ねてくれるはず。まこと女流らしく婉曲に、憾みを訴えているように見えるが、盛られた心情は辛辣で、意外に手厳しい。十三世紀初頭の宮廷にその名をとどめた天才少女の、いささか巧妙に過ぎる雪に寄せる心理詠である、と。


 ふりつもる末葉の雪や重るらむ片なびきなり真野の萱原  覚性法親王

出観集、冬、雪埋寒草。大治4年(1129)−嘉応元年(1169)。鳥羽天皇の第五皇子、母は待賢門院璋子、崇徳院後白河院の同母弟。若くして出家、仁和寺主となる。千載集初出。勅撰入集22首。重る−おもる。真野の萱原−陸奥の国の歌枕、現在の福島県鹿島町あたり。遠く恋や季節の面影を見ることに用いられる。
邦雄曰く、古典における細やかな写実作品ともいうべきか。茅萱の細葉にうっすらと雪が積もり、薄雪ながら重みが加わる。少しずつ雪をこぼしつつ「片なびき」すると歌う。今一歩で説明調となるところを、抒情性を失わず温雅な調べを保った、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。