むらむらに氷れる雲は空冴えて‥‥

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Information−Aliti Buyoh Festival 2006−

−今日の独言− 松の内

 15日は望粥(もちがゆ)の日とか。元旦に対して今日14日から16日を小正月とも言ったが、はて松の内とはいつまでのことだったかと辞書を引いたら、7日と15日の両説があって判然としない。ものはついでと歳時記などを引っ張り出して見ると、門松や注連縄を取り払う松納めをするのが、東京では7日、京阪では15日とあり、やはり江戸風と上方風の習わしの差だったか、と。上方風ならばなおまだ松の内、新しい年の挨拶ごとを述べ立ててもおかしくはないのだとばかり、今頃になんだと思われそうなのを承知で、年詞のお返しをメールでいくつか挨拶をした。件の歳時記には、昔の松の内は女性の身辺が忙しいので、15日を年礼の始めとして女正月とも言うとある。そういえば、正月の薮入りは16日、無事松の内も明けて奉公人たちは宿下がりして晴れて家に帰れた訳だ。盆の薮入りは正月のほうより後に習いとなったようだが、どんなご時世になっても盆と正月が大きく節目の習いとなるのは、この国では変らないのかもしれない。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬−22>
 むらむらに氷れる雲は空冴えて月影みがく木々の白雪  花園院

新千載集、冬、百首の歌詠ませ給うける時。永仁5年(1297)−正平3年(1348)。伏見院の第三皇子、12歳で践祚したが、十年後には、鎌倉幕府の干渉で後醍醐天皇に譲位。建武親政成った後に出家。学問を好み、道心厚く、禅宗に傾倒。画才にも恵まれ、所縁の妙心寺には自筆の肖像画が伝わる。和歌は京極為兼・永福門院の薫陶を受け、風雅集を監修、仮名真名の序文を執筆した。
邦雄曰く、月光が、梢の雪を磨くのではない、その逆で月光が、梢の雪に磨かれるのだ。空の雲も宵の雪も、既にひりひりと氷っており、しんしんと冴えかえる夜のひととき、皓々たる白一色の世界は不気味に静まり、異変の前触れを予感させるがごとく。詠風は華やかに寂しい、と。


 雲凍る空は雪げに冴えくれて嵐にたかき入相の声  日野俊光

権大納言俊光集、冬、冬夕。文応元年(1260)−嘉暦元年(1326)。藤原北家一門に生まれ、文章博士蔵人頭を歴任、伏見院の近臣として、時は建武中興の前夜、皇位継承をめぐり北条政権との折衝の任を帯び、勅使として京都・鎌倉をしばしば往復したが、任半ば鎌倉で没した。
「入相」−日没時、夕暮れのこと。古来、入相または入相の鐘を詠んだ歌は多い。和泉式部詠に「暮れぬなり幾日を斯くて過ぎぬらむ入相の鐘のつくづくとして」がある。
邦雄曰く、家集の冬歌には雪を詠んだもの夥しい。雪の降りしまくなかに、入相の鐘を響かせたところが、この歌の面白さと思われる、と。


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