曇れかし眺むるからに悲しきは‥‥

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Information−Aliti Buyoh Festival 2006−

−今日の独言− 歌枕見てまいれ

 平安中期の10世紀、清少納言とも恋の噂もあったとされ、三十六歌仙に名を連ねた左近衞中将藤原実方朝臣は、小倉百人一首にも「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしもしらじな燃ゆる思ひを」の歌が採られているが、みちのくに縁深くユニークな逸話を諸書に残して名高い。
鎌倉初期、源顕兼が編纂した「古事談」という説話集には、書を能くし三蹟と謳われた藤原行成と実方の間に、殿中にて口論の末、勢い余った実方は行成の冠を投げ捨てるという無礼をはたらいてしまった。
これを聞きつけた一条天皇から「歌枕見てまいれ」といわれ、陸奥守に任ぜられたという。要するに実方はこの事件でみちのくへと左遷された訳だが、歌枕見てまいれとの言がそのまま辺境の地への左遷を意味しているあたりがおもしろい。
陸奥に赴任した実方は数年後の長徳4年に不慮の死を遂げたらしく、現在の宮城県名取市の山里にその墓を残すのだが、この地が「おくの細道」の芭蕉も訪ね歩いたものの「五月雨に道いとあしく、身つかれ侍れば、よそながら眺めやりて過るに」と書かれることになる「笠嶋」である。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−15>
 しきたへの枕ながるる床の上にせきとめがたく人ぞ恋しき  藤原定家

拾遺愚草、恋、寄床恋。
しきたへの−敷妙の。床、枕、手枕に掛かる枕詞。
来ぬ人を待ちわびる夜の涙は川をなし、枕さへ流れるばかり。その流れを堰き止める術もないほど、人への思いはつのる。
邦雄曰く、常套的な誇大表現ながら、定家特有の抑揚きわやかな構成が、古びれた発想を鮮明に見せる、と。


 曇れかし眺むるからに悲しきは月におぼゆる人の面影  八条院高倉

新古今集、恋、題知らず。
生没年未詳。生年は安元2年(1176)以前? 藤原南家信西入道(藤原通憲))の孫。八条院翮子内親王(鳥羽院皇女)に仕えた女官。この歌を後鳥羽院に認められ、院歌壇に召されるようになったとされる女流歌人新古今集初出。
曇れかし−「かし」は命令を強める助詞。
邦雄曰く、月に恋しい人の面影を見る歌は先蹤数多あるが、この作の特徴は一に「曇れかし」と、声を励ますかに希求する初句切れの悲しさにある。もちろん反語に近い用法で、まことはそれでもなお面影を慕うのであるが、と。


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