宵の間にほのかに人を三日月の‥‥

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Information−Aliti Buyoh Festival 2006−

−今日の独言− 景気回復と雇用破壊

 少し古くなるが、毎日新聞1月15日付今週の本棚に、鹿嶋敬著「雇用破壊−非正社員という生き方」を紹介した中村達也氏の書評に、ずいぶん肯かせてくれるものが多かったので書き留めておきたい。
昨年の秋ごろから、政府も財界も景気の先行きに明るい兆しが見えてきたとし、現に株価の推移も上昇気運、加えて大手企業らは大幅増収益、今年の経済はほぼ順調に景気回復の軌道に乗るだろうとされているが、この景気回復の下支えには「雇用破壊」の蔓延的な進行があるというのが実相だ。
パートやアルバイト、さらに派遣社員や請負社員、これら非正社員の数は、この十年ほどの間に状況が激変、今や雇用者全体のほぼ1/3にまで膨らんでいるという。非正社員は正社員に比べてかなりの程度賃金が安いのは常識だが、男性正社員の時間当たり賃金に比べて、男性パートのそれはほぼ4割ほどであり、非正社員の比率が1%高まれば、企業の利益率が何%高まるかという興味深い統計が、本書で紹介されているそうな。
 雇用破壊をどこまでも進行させつつ景気回復を図っていくという日本経済の構造下、努力が報われることのない仕組みのなかで増えつづける若年フリーターが、どのような希望を見出すことができるのか。非正社員が、職業能力を蓄積することなしに漂流する先にある経済とは、果たしてどのようなものなのか。著者が投げかけるこの問いが、胸に突き刺さる、と評者は結んでいる。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−17>
 夜半の月見ざらましかば絶えはてしその面影もまたはあらじを  亀山院

亀山院御集、詠十首和歌、月驚絶恋。
邦雄曰く、なまじ深夜の月を見たばかりに、忘れていた嘗ての愛人をまた思い出してしまった。月さえ見なければ、あの面影も決して蘇りはしなかったろうにと悔いる。同集「月顧忍恋」には「曇りなくて忍び果つべき契りかはそらおそろしき月の光に」と歌い、作者の技巧は後嵯峨院譲りの奔放華麗な一面もある、と。


 宵の間にほのかに人を三日月のあかで入りにし影ぞ恋しき  藤原為忠

金葉集、恋上、寄三日月恋を詠める。
生年不詳−保延二年(1136)。藤原知信の子。丹後守朝臣、想空と号す。大原三寂と謳われた寂超(為経)・寂念(為業)の・寂然(頼業)の父。常盤の里(現京都市右京区)に住み、藤原俊成源頼政は歌仲間として親しく、家集に「為忠朝臣集」がある。
邦雄曰く、今一目見たい、暫くは隠れずに居てくれと願ったのに、その人はたちまち姿を消した。あたかも新月が宵のひとときだけしか見られないように。人を見、三日月を見たのか、その逆か。三日月はたんなる縁語であろう、と。


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