ものおもへば心の春も知らぬ身に‥‥

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Infomation<奥村旭翠とびわの会>


−今日の独言− 筑前琵琶はいかが

 例年春の訪れを告げるように「奥村旭翠とびわの会」の演奏会が催される。
今年は明後日(2/26)の日曜日、会場はいつものごとく日本橋国立文楽劇場小ホール。
筑前琵琶の奥村旭翠一門会といったところで、新参から中堅・ベテランまで十数名が順々に日頃の研鑽のほどをお披露目する。
旭翠さんは弟子の育成には頗る熱心であるばかりでなく指導も適切で弟子たちの上達も早い。琵琶は弾き語りだから演奏と詠唱の双方を同時にひとりでこなす訳だが、どちらかに偏らずきっちりと押さえていく。だから奏・唱バランスのとれた将来有望な人たちが育つ。
浄瑠璃の語り芸は70歳あたりから芸格も定まり一代の芸として追随を許さぬ本物の芸となると思われるが、琵琶の世界も同様だろう。
旭翠さんはまだ60歳前だが、彼女が教えることに極めて熱心なのはきちんと伝える作業の内に自身の修業があるとはっきり自覚しているからだ。そういう芸への姿勢をのみ私は信ずる。
 連れ合いは入門してから4年、まだまだ新参者の部類だ。それでも石の上にも三年というから、ようやく己が行く道の遥かにのびる果てが霧のなかにも茫と見えてきた頃であろうか。謂わば無我夢中の初歩段階から、やっと些かなりと自覚を有した初期段階へと入りつつあるのだと思う。
彼女がこの会で語るのは「湖水渡」。馬の名手と伝えられた戦国武将明智左馬之助が、秀吉軍の追手を逃れ、琵琶湖東岸粟津野の打出の浜から馬もろともに対岸の唐崎へとうち渡り、坂本城へと落ちのびたという講談にもある一節。唐崎にはこの伝に因んだ碑もあるが、もちろん史実ではなく語り物として伝えられてきた虚構の世界。
 当日の演奏会は17の演目が並び、11:30から16:30頃までたっぷり5時間。手習いおさらいの会だから入場は無料。時に聴き入り、時に心地よく居眠りを繰り返し、時間を過すのも年に一度なればまた一興。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−14>
 ものおもへば心の春も知らぬ身になに鶯の告げに来つらむ  建礼門院右京大夫

玉葉集、雑一、思ふこと侍りける頃、鶯の鳴くを聞きて。
生没年不詳。父藤原伊行(これゆき)は藤原の北家、伊尹流に属し、書は世尊寺の流れをひいた。「和漢朗詠集」の見事な写本がある。母は夕霧尼といい箏の名手。建礼門院(中宮徳子・清盛の娘に仕え、やがて重盛の二男資盛との悲運の恋に生きた。「建礼門院右京大夫集」は晩年、定家に選歌のため請われ提出したもの。
邦雄曰く、彼女にとって心の春とは、資盛に愛された二十代前半、平家全盛の日々であった。建礼門院右京大夫集では、この鶯は上巻の半ば、甘美な、そのくせ不安でほろ苦い恋の一齣として現れる。「春も知らぬ」とはむしろ反語に近かろう、と。


 春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる  凡河内躬恒

古今集、春上、春の夜、梅の花を詠める。
生没年不詳。貫之とともに古今集時代の代表的歌人古今集選者の一人。三十六歌仙古今集以下に196首。
邦雄曰く、梅の花の芳香は闇といえども包み隠せるものならず、散文にすれば単なることわりに聞こえるが、歌の調べはうららかに、照り出るようや一首に変える。躬恒の天性の詩才でもあろう、と。


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