梅の花にほひをうつす袖のうへに‥‥

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−今日の独言− 「むめ」と「うめ」

ぐっと冷え込むかと思えば、今日は気温も14℃まであがり、蕾も一気にほころぶほどの春の陽気だ。今日と明日で各地の梅だよりもぐんと加速するだろう。天満宮の梅は和歌山の南部梅林と同じく七分咲きとか。
ところで、歳時記などによれば、平安期以降、梅の表記は「うめ」と「むめ」が併用されていたようで、かの蕪村をして「あら、むつかしの仮名遣そやな」と歎かせたとある。「梅」一字では「mume−むめ」が本来のようで、「烏梅」とか「青梅」とか熟語となると、u−ウ音が際立ったらしい。
山本健吉によれば、承和年間(834−848)に、御所紫宸殿の前庭に橘と並んで植えられていた梅が枯れて、桜に変えられたという故事があるが、これは花に対する好尚が唐風から国風へと変化する一指標、とある。また、他説では、貴族社会はともかく、低層庶民は古来から桜を愛でていたともいわれるから、ようやくこの頃になって、唐風に倣うばかりの趣味志向から貴族たちも脱皮しはじめたにすぎないともいえそうだ。


  灰捨てて白梅うるむ垣根かな   凡兆
  二もとの梅に遅速を愛すかな   蕪村
  梅も一枝死者の仰臥の正しさよ   波郷


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−15>
 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴くも  大伴家持

万葉集、巻十九、天平勝宝五年二月二十三日、興に依りて作る歌二首。
邦雄曰く、万葉巻十九中軸の、抒情歌の最高作として聞こえた三首の第一首。涙の膜を隔てて透かし視る春景色と言おうか。燻し銀の微粒子が、鶯の声にも纏わるような清廉な調べは、いつの日も心ある人を詩歌の故郷へ誘うことだろう。この折三十代前半の家持、夕霞の鶯は、彼の心象風景のなかで、現実以上に鮮やかな陰翳をもって生き、ひたに囀りつづけている、と。


 梅の花にほひをうつす袖のうへに軒洩る月の影ぞあらそふ  藤原定家

新古今集、春上、百首歌奉りし時。
邦雄曰く、光と香が「あらそふ」とは、さすが定家の冴えわたった発想だ。天からは月光が軒の隙間を洩れて届く。樹からは梅花の芳香、それも薫香さながら衣に包を移す。伊勢物語「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」の本歌取り、と。


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