梅が香におどろかれつつ‥‥

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−今日の独言− 奇妙な集まり

昨夜は市岡高校OB美術展の打上げ会。
例年のことだが、まずは午後3時頃から会場の現代画廊に出品者が三々五々集って搬出までの時間を懇親会よろしく歓談する。集ったメンバーは17期が他を圧倒して多い。やはりこの会の精神的な紐帯として彼らが中軸なのであり、辻正宏が17期で卒業したことと大きく関わっているのだ。
辻正宏が存命なあいだはこの会の生れる必然はなく、彼が故人となったときはじめて誕生した理由を今更ながら確認させられる。
この会はまったく不思議な集りだ。特定の思潮があるわけでもない。内容はおろか形式さえも多種多様、絵画にかぎらず、彫刻、工芸、書、デザイン、陶芸にいたるまでが、狭い画廊にてんでに居並んで奇妙な空間を生み出している。フリの訪問客がプロもアマを混在した自由な展示がおもしろいと語っていったという、そのことが含んでいる意味は深いところで本質を衝いているのかもしれない。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−16>
 梅が香におどろかれつつ春の夜の闇こそ人はあくがらしけれ  和泉式部

千載集、春上、題知らず。
邦雄曰く、梅の香りを、それとも知らず、誰かの衣の薫香と錯覚して驚き、かつ誘われていく。闇なればこそ夢がある。月光の下では一眼で梅と知れよう。古今集「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる」を逆手に取ったこの一首、出色の響きである。春の夜の闇は人を心もそらにさせるとは、婉曲でしかも艶な発想だ、と。


 鶯の花のねぐらにとまらずは夜深き声をいかで聞かまし  藤原顕輔

左京大夫顕輔卿集、大宮中納言の家の歌合に、鶯。
寛治4年(1090)−久寿2年(1155)、六条藤原家、顕季の三男、正三位左京大夫。藤原基俊没後、歌壇第一人者となり、崇徳院院宣により「詞花集」を選進。金葉集初出。勅撰入集85首。
邦雄曰く、深夜に鳴く鶯の声を主題にした歌は珍しい。「花のねぐら」というあでやかな言葉に、コロラチュラ・ソプラノの「春鶯伝」を連想する。第三句と結句の、ややアクの強い修辞が、一首の味わいを濃くして、十二世紀半ば、金葉・詞花集時代の特徴を見せる、と。


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