ひさかたの月夜を清み梅の花‥‥

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−今日の独言− 母と娘、それぞれ

4歳のKは、一昨日、日々世話になっている保育園の生活発見会、いうならば昔の学芸会で、ようやく呪縛型緊張の壁を破った。
人見知りのやや過剰なKは、これまでこの手の催しでは、いざ本番となると一度も普段の稽古どおりにやれたことはなかった。父母たちが多勢集ったその雰囲気に呑まれてしまってか、まったく動けなくなるのが常だった。ハレやヨソイキの場面ともなると自閉気味に緊張の呪縛に取り憑かれたがごときに、固まるというか強張るというか、そんな心−身状態にきまって陥るばかりだったが、この日のKは違った。やっとその呪縛から自らを解き放つことができて、懸命にリズムをとりながら振りどおりに身体を動かしていた、いかにも必死の感がありありと見える体で。


35歳のJは、2月のアルティ・ブヨウ・フェスと昨日の琵琶の会と踏破すべき山が連なり、それぞれ表現の個有性の課題に挑まざるを得なかったのではないか。
元来なにかと拘りは強いくせに意気地がない、些か分裂型の気質かと思える彼女だが、重なった二つの山は相互に作用したようで、表現の自律と自立、それは自ら能動的に自発的にしか獲得しえぬということが、これまではいくら頭で理解していても、自身の心−身はどこか消極的な振る舞いのうちに身を退いてしまうようなところがあったのだが、やっと彼女なりの<信>を得たのではないか。それは自ずと定まるところの課題の発見でもあるだろう。
今後さらに、彼女の<信>がそうそう揺るぎのないものへと強まっていくことを、見届けていきたいものだ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−17>
 ひさかたの月夜を清み梅の花心ひらけてわが思(も)える君  紀小鹿

万葉集、巻八、冬の相聞。
生没年未詳、紀朝臣鹿人の娘、安貴王の妻で、紀郎女とも、名を小鹿。万葉集巻四には夫・安貴王が罪に問われ離別する際に歌われたとされる「怨恨歌」がある。また天平12年(740)頃に家持と歌を贈答している。
邦雄曰く、梅の花は現実に咲き匂うその一枝であり同時に万葉少女の心を象徴する。「梅の花心ひらけて」の幼く潔い修辞が、まことに効果的であり、大伴駿河麿の「梅の花散らす冬風(あらし)の音のみに聞きし吾妹を見らくしよしも」と並んでいる。作者のなまえそのものが現代人には詩の香気を持っていて愉しい。「わが思へる君」で突然終る調べの初々しさも格別、と。


 冴えし夜の梢の霜の朝曇りかたへは霞むきさらぎの空  肖柏

春夢草、上、詠百首和歌、春二十首、余寒霜。
邦雄曰く、二月の霜、春寒料峭をそのまま歌にした感がある。名だたる連歌師ゆえに、この一首も上句・下句が発句・脇句の照応を見せ、それがねんごろな味わいを醸している。たとへば「梅薫風」題でも、「梅の花四方のにほひに春の風誘ふも迷ふあけぼのの空」と、第四句の独得の修辞など、一目で連句のはからいに近いことが判る、と。


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