きみならで誰にか見せむ‥‥

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−今日の独言− ガンさん逝く

関係者の誰からも「ガンさん」と親しみを込めて呼ばれていた関西演劇界の重鎮、岩田直二氏が2月11日心不全で逝った、享年91歳。親族のみで密葬を行い、3月11日に関西芸術座にて劇団葬が執り行われる予定と聞いたが、訃報記事に気づかなかったため時機を失しながら書き留める。
‘03年(H15)12月、「ガンさん」の米寿を祝う集いに出席させていただいた。戦後の関西演劇界に活躍してきた人々が殆どすべて集ったかに見えるような顔触れで、200名余り居たろうか、60歳になろうという私が駆け出しの若造にしか見えぬほどに、ご年配方が圧倒する祝宴の場であった。
いま私の手許には、その集いで列席の各位に配られた「楽屋」と題された岩田直二著の冊子がある。楽屋鼎談、楽屋放談、楽屋独語と3章構成、1988年(S63)からこの年まで書き継がれてきた演劇時評的エッセイ。鼎談や放談はもちろん話体でしかも大阪弁で書かれているから親しみやすい読み物の筈が、これが私などには却って読みづらいものとなる。正確には読みづらいというべきではなく、論理の進展やその深まりがどうにも辿りにくいというか、もっといえば進展や深まりが感じられないものになってしまっている。話体なればこそ現に話されている方言で書かれるべきがリアルといえばそうなのだが、方言のもつリズムが思考のリズムに合わないのか、どうも読んでいて愉しめないから、ついつい拾い読みになってしまうのだ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−19>
 春日野やまだ霜枯れの春風に青葉すくなき荻の焼原  順徳院

古今集、春上、春の御歌の中に。
建久8年(1197)−仁治3年(1242)。後鳥羽院の第三皇子。母は藤原範季の女重子。承元4年(1210)即位するが、承久の変に敗れて佐渡に遷御。在島20年で崩ず。和歌を定家に学び、しばしば歌合を主催。歌学書に八雲御抄、家集に順徳院御集。後選集以下に159首。
邦雄曰く、野焼きの後、一雨か二雨あって、いっせいに新芽を吹いた春日野であろう。黒焦げの枯草の傍らに早くも鮮やかな若葉を見せる芒、萱の類い、「青葉すくなき」と季節到らぬ嘆きの七音に新味あり。御製集、紫禁和歌草は1300首近い詞華を収めている。八雲御抄等は、崩御までの20年を過した遠島佐渡における研鑽の賜物であった、と。


 きみならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る  紀友則

古今集、春上、梅の花を折りて人におくりける。
生没年不詳。古今集の撰者。従五位大内記。三十六歌仙古今集に46首、後撰集以下に約20首。
邦雄曰く、古今・春の代表歌の一つであり、ひいては古今集の典型を示す作品とも思われる。眉を上げて宣言に似た言挙げを試み、そのまま、香気高い一首に生まれ変わっている。躬恒の「春の夜の闇はあやなし」(2/24所収掲載)と共に古今梅花詠の双璧と言えよう。貫之の従兄弟、閑雅明朗な調べは自ずから共通するところがある。この歌、相聞の趣きを感じる要はまったくない、と。


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