玉かぎる夕さりくれば‥‥

Nakahara050918-086-1

−今日の独言− パースペクティヴⅤ<遠近法の変奏>

歴史上にあらわれた遠近法は、権威への中心化にはじまり、個への視点の奪還をへて、多様な視点への変換可能性の自覚を生み、さらには反遠近法主義と現実の時空構造のシンボル的変容の発見にいたる。

視点が個をこえた権威におかれるとき、権威が構成するのは、価値のヒエラルキーによる遠近法である。エジプト芸術やキリスト教芸術にしばしばみられるように、対象の大きさは、宗教的あるいは身分的な価値の尺度に応じて決定される。神や人間は、動物、植物あるいは家よりも大きくえがかれる。王、貴族、男は、より象徴的・記念碑的に、民衆や女は、より自然主義的に表現される。奥行きは価値の奥行きであって、空間の奥行きではない。それゆえ空間は平面化される。空間の奥行きは意味あるものとは考えられていないのである。

視点が個におかれるとともに、近代的な遠近法が成立する。個−in-dividuumとは、それ以上分割しえない、ゆずることのできない主体である。この主体の認識能力の基本を理性とみなせば、射影幾何学的な線遠近法が成立する。線遠近法が成立するためには、空間は均質的・連続的でなければならない。主体の認識能力の基本を感覚におくならば、空気遠近法、色彩遠近法、ぼかしの遠近法などの体験的遠近法が成立する。ここでは空間は、非均質的・非連続的なものとしてあらわれる。画家はこの二つの遠近法のあいだで動揺する。絶対的空間にたいする理性的信と、体験的空間にたいする感覚的信徒の間で引き裂かれているからである。しかしその視点そのものは絶対的な一視点である。ゆずりえない個への確信は、その一視点に対して現れる実在の姿の真理性を確信させる。

しかしゆずりえない個に対する信頼の喪失とともに、個は多数のなかの任意の個となる。視点は、たえず任意の地の一視点へとすべってゆき、相対的な多視点の遠近法(キュビスム、他)が、構成される。空間もまた均質の絶対空間とはみなされない。移行する相対的な多数の視点が対象の空間を構成する。ここではパースペクティヴは空間を構成するものとして自覚されている。そのことによってパースペクティヴは、対象の内的構成をあきらかにするはずであったが、事実は、対象の内的分解をあらわにしたかに見える。個の解体に相応して、対象も統一を失い、モザイク化する。微分的な分解は、対象の奥行きを失わせ、空間的構造を平面のうちに展開される一連の記号と化す。

    ―― 市川浩「現代芸術の地平」より抜粋引用


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−24>
 玉かぎる夕さり来れば猟人の弓月が嶽に霞たなびく  柿本人麿

万葉集、巻十、春の雑歌。
玉かぎる−夕・日・ほのか・岩垣渕などに掛かる枕詞。猟人(サツヒト)−サツはサチ(幸)と同語源といわれる。この歌では弓月が嶽を誘い出す枕詞化している。弓月(ユヅキ)が嶽−大和の国の歌枕。奈良県桜井市穴師の巻向山の峰。
邦雄曰く、きらめくような春宵、うるむ巻向山の峰。枕詞の「猟人の」が単なる修飾ではなくて、古代のハンターを髣髴させる。巻十春の雑歌冒頭は人麿の七首が連なる中に、「弓月が嶽」は抜群の眺め、と。


 を初瀬の花の盛りを見渡せば霞にまがふ嶺の白雪  藤原重家

千載集、春上、歌合し侍りける時、花の歌とて詠める。
大治3年(1128)−治承4年(1180)、六条藤家顕輔の子、兄は清輔、子に経家・有家ら。従三位太宰大弐に至る後、出家。清輔より人麿影像を譲り受けて六条藤家の歌道を継いだ名門。また詩文・管弦にも長じていたと伝えられる。
初瀬−泊瀬とも。大和の国の歌枕。奈良県桜井市初瀬町の地。
邦雄曰く、後撰集の詠み人知らず「菅原や伏見の暮に見渡せば霞にまがふを初瀬の山」の本歌取りだが、「花」を第二句に飾って、一段と優美にした。六条家歌風とは異なる新味あり、後に風雅集に、最も多く、七首入選したのも頷ける、と。


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