妹が髪上竹葉野の放ち駒‥‥

Nakahara0509180871

−表象の森− 予感と徴候、余韻と索引

生きるということは、「予感」と「徴候」から「余韻」に流れ去り「索引」に収まる、ある流れに身を浸すことだ、と精神科医中井久夫はその著「徴候・記憶・外傷」の「世界における索引と徴候について」という小論のなかで言っている。

「予感」と「徴候」は、ともにいまだ来たらぬ近−未来に関係している。それは一つの世界を開く鍵であるが、どのような世界であるかまだわかっていない。
思春期における身体的変化は、少年少女たちにとって単なる「記号」ではない。それは未知の世界の兆しであり予告である。しかし、はっきりと何かを「徴候」しているわけでもない。思春期の少年少女たちは身体全体が「予感」化する。「予感」は「徴候」よりも少しばかり自分自身の側に属しているのだ。

「余韻」と「索引」にも同様の関係がある。「索引」は一つの世界を開く鍵である。しかし、「余韻」は一つの世界であって、それをもたらしたものは、一度は経過したもの、すなわち過去に属するものである。が、しかし、主体にとってはもはや二義的なものでもある。

「予感」と「余韻」は、ともに共通感覚であり、ともに身体に近く、雰囲気的なものである。これに対し、て「徴候」と「索引」はより対象的であり、吟味するべき分節性とディテールをもっている。

「予感」と「徴候」とは、すぐれて差異性によって認知される。したがって些細な新奇さ、もっとも微かな変化が鋭敏な「徴候」であり、もっとも名状しがたい雰囲気的な変化が「予感」である。「予感」と「徴候」とに生きる時、人は、現在よりも少し前に生きているということである。
これに反して、「索引」は過去の集成への入り口である。「余韻」は、過ぎ去ったものの総体が残す雰囲気的なものである。「余韻」と「索引」とに生きる時、人は、現在よりも少し後れて生きている。

前者を「メタ世界A」、後者を「メタ世界B」と名付けたとして、AとBはまったく別個のものではない。「予感」が「余韻」に変容することは経験的事実だし、たとえは登山の前後を比較すればよいだろう。「索引」が歴史家にとっては「徴候」である、といったことも言い得る。
予感と徴候、余韻と索引、これら四者のあいだには、さらに微妙なさまざまな移行があるだろう。

                ―――参照 中井久夫「徴候・記憶・外傷」みすず書房


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−27>
 水まさる高瀬の淀の真菰草はつかに見ても濡るる袖かな   殷富門院大輔

後撰集、恋一、題知らず。
生没年不詳。建久末・正治頃の歿か。殷富門院(後白河院第一皇女亮子)の女房。父は藤原信成というが詳らかでない。歌は定家によつて高く評価された。多作家で「千首大輔」の異名をとり、家集「殷富門院大輔集」がある。小倉百人一首に「見せばやな雄島のあまの袖だにもぬれにぞぬれし色はかはらず」。千載集以下に63首。
高瀬の淀−浅瀬の水淀むあたり。 真菰草(マコモグサ)。 はつか−ちらと、ちょっとの意。
邦雄曰く、五月雨に水かさの増す初夏は、岸の菰も水面すれすれに靡き、かつ濡れどおし。菰こそ作者自身、一目ちらと見ただけなのに、その日から、遂げ得る筈もない悲しい恋に泣き暮らす。この歌の次に源家長の「菰枕高瀬の淀にさす叉手のさてや恋路にしをれ果つべき」が並び、ひとしおの興趣も生まれ、贈答の感あり、と。


 妹が髪上竹葉野(あげたかはの)の放ち駒荒(あら)びにけらし逢はなく思へば   作者未詳

邦雄曰く、愛人の心が離れ、すさんでゆくことを放し飼いの馬になぞらえ、その野は竹葉野、序詞として「妹が髪上げ綰(タ)く=上竹葉野」と用いたが、駒のように荒れる妹の、その髪もたてがみのように乱れなびくさまを、作者も当然思い描いていよう。序詞や枕詞が、単なる修飾にとどまらず、なまなましいほどに生きて働く、好個の例のひとつ、と。


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