おのが音は誰がためとても‥‥

0511290861

−表象の森− 50年を経てなお‥‥


「おとろしか。・・・人間じゃなかごたる死に方したばい、さつきは。・・・これが自分が産んだ娘じゃろかと思うようになりました。犬か猫の死にぎわのごたった。ふくいく肥えた娘でしたて。・・・」
石牟礼道子苦海浄土」、第一章「椿の春」の一節である。


八代海水俣付近一帯で猫の不審死が多く見られるようになったのは1955年のことだ。翌56年には類似の発症が人においても見られるようになり、5月1日、「原因不明の中枢神経疾患の発生」が水俣保健所に報告され、この日が水俣病公式発見の日となった。


一昨年(2004年)の10月15日、最高裁第二法廷は、「チッソ水俣病関西訴訟」上告審において、
「国と県は1959年12月末の時点で、水俣病の原因物質が、有機水銀であり、排出源がチッソ水俣工場であることを認識できたのに、排水を規制せず、放置し、被害を拡大させた」と認定し、国・県に対して、原告患者37人に計 7150万円(1人当り150万円〜250万円)の賠償を命ずる判決を下した。
また、水俣病の病像については、二点識別感覚など中枢性大脳皮質感覚の障害を基本とした、有機水銀中毒症を認定した大阪高裁の判決を妥当と是認して、国・県からの上告を棄却して、最終的に「阪南中央病院の意見書」を元にした「水俣病々像」を認め、切り捨てと選別の「従来の水俣病認定基準」を真っ向から否定した。


最近の朝日新聞の伝えるところによれば、
1968年の公害認定以来、熊本・鹿児島両県での認定申請は延べ約2万3000人という未曽有の被害を招いたが、認定は死者を含め2265人。95年には村山政権がまとめた救済策を約1万人の未認定患者が受け入れた。しかし、行政の認定基準より緩やかな基準で被害救済した04年10月の関西訴訟最高裁判決以降、認定申請は約3800人に急増。このうち約1000人は原因企業チッソや国・熊本県を相手に損害賠償訴訟を起こしているが、国は「最高裁判決は認定基準を直接否定していない」との考えで「認定基準は変えない」と強調、被害者との対立が続いている、という。


最高裁判例をもってしても、国の「認定基準」を変ええないという一事を、どう解したらよいのか。
「直接否定していない」と強弁する国の姿勢に、50年の歳月を他者の量りえぬ苦界に生きてきた患者たちはどれほどの絶望を感じたことだろう。
これがわれわれの戴く行政権力の姿であり、この国のカタチであるとすれば、われわれの明日もまたなきにひとしく暗雲に閉ざされていよう。


アジア諸国のなかで、負の遺産たる公害の先進国である日本は、後続の発生予備軍たる国々に対し、あらゆる面で範を垂れるべき重い責務があるはずであった。この20年の中国の経済発展をみれば、やがて押し寄せる公害の嵐が、はかりしれない規模においてこの地球を襲うだろうことは必至である。いや、いまのところわれわれの眼には映っていないだけで、すでにさまざまな苦界が生れ、どんどんその腐蝕の域をひろげているにちがいない。その加速度はわれわれの予測をはるかに超えているはずなのだ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−10>
 さみだれの月のほのかに見ゆる夜はほととぎすだにさやかにを鳴け   凡河内躬恒

玉葉集、夏、夏の歌の中に。
邦雄曰く、五月雨の晴れ間に淡黄の月は木の間にかかる。五月闇ももの寂しい。雨夜はさらに寂しい。だが、なまじうっすらと月が見えると、一層身に沁む。せめて一声、爽やかに鳴けほととぎすと、一息に五句まで歌いつづけての命令形止め。玉葉集では五月雨と橘に配する時鳥は夏の半ば、と。


 おのが音は誰がためとてもやすらはず鳴きすててゆくほととぎすかな   二条為定

大納言為定集、夏、子規(ほととぎす)。
永仁元(1293)年−延文5(1360)年、鎌倉期末より南北朝期の代表的歌人。俊成・定家の御子左家嫡流二条為世の孫、父は為道、母は飛鳥井雅有女。続後拾遺集、新千載集を選集。出家後は釈空と号す。
邦雄曰く、ほととぎすはいったい誰のために鳴くのか、妻呼ぶ声、夫を誘う声、あるいは子を友を父母を。いずれにせよ、ためらいもなく、一声をしるべに翔けり去る。第四句の「鳴きすててゆく」に、はっとするような発見がある。同じ題の「なほざりに鳴きてや過ぐる時鳥待つは苦しき心つくしを」と並んで佳い調べ、と。


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