ときも時それかあらぬかほととぎす‥‥

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−表象の森− 偏桃体と前頭連合野46野

いわゆるよくキレる子にならないために、幼児期(3〜6歳児)における「じゃれつき遊び」がとても有効だ、という。
幼児に対し、日課のようにして、情動的刺激−ある種の興奮状態−を、短時間集中的に与えることが、キレない子ども、集中力のある子どもを育てるという訳だが、この主張は直感的にさえおそらく非常に的を獲たものだろう、と私には思えた。
そこで最近の脳科学の知見をひもといてみるのだが、「じゃれつき遊び」の効用は、偏桃体と前頭連合野46野のはたらきにおいて裏づけられようか。

情動−Emotion−のメカニズムは大脳辺縁系の偏桃体が主要な役割を果たしている。喜びや悲しみの精神的状態から、食欲・性欲や喉の渇きなど生理的欲求がもたらす心理的状態や、それが満たされた時の快も、満たされない時の不快も、偏桃体の機能に大きく負っているということだ。
偏桃体と、同じ大脳辺縁系の記憶中枢である海馬体とが、お互いに密接に情報交換していることも今ではよく知られている。偏桃体には視覚などあらゆる感覚連合野からの情報が流れ込んできており、同じ辺縁系の海馬体の記憶情報と照合したうえで、その情報に生物学的な価値判断を与え意味を決定することとなる。

ヒトを人たらしめるもの、自我のはたらき−自己意識と自己抑制−は、大脳新皮質系の前頭連合野が中心的機能を果たすが、なかでもそのセンター的部位が46野である。逆にいえば、人の言語能力が社会関係を複雑化させ、46野を発達させてきたのであり、思考のはたらきもまた然りである。

「じゃれつき遊び」は、この情動のメカニズム、偏桃体のはたらきにすぐれて直結するものだろう。その快としての刺激と興奮は、大脳辺縁系のみならず新皮質系も含め、脳のはたらきをダイナミックに活性化し、子どもたちの情操を豊かなものに、ひいては理性をも育むだろう。
15分から30分間程度、集団で大人(先生や保育士または親)も交えて「じゃれつき遊び」に興じたあとの幼児たちは、先生の話を聞くとか後片付けの作業とかに、驚くほどの集中力と持続力を発揮するというが、これは前頭連合野46野における自我のはたらきへの高次の作用といえそうだ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−11>
 かざこしを夕こえ来ればほととぎす麓の雲の底に鳴くなり  藤原清輔

千載集、夏、郭公の歌とて詠める。
かざこし(風越)、風越の峰−信濃国の歌枕、長野県飯田市西方の風越山。
邦雄曰く、時鳥に配する歌枕は、老蘇の森・待兼山・入佐山と数多あるが、これは稀有な信濃の国木曽山脈の風越の峰。おのずから風が颯々と吹き越える峠路を思い、「雲の底」も光景がさながらに目に浮かぶ。清新な時鳥詠として記憶に値する。技法の巧みさ、当時無双であったと伝えるが、この地味の味など巧みを超えている、と。


 ときも時それかあらぬかほととぎす去年の五月のたそがれの空
                                    藤原家隆

千五百番歌合、夏二。
邦雄曰く、数多ほととぎす歌の中でもユニークな文体の一首だろう。初句から畳みかけるような疾走感に、「黄昏の空」と簡潔に切り捨てて終る。家隆の斬新な技法を示す好例。番は左が後鳥羽院の「心あてに聞かばや聞かむ時鳥雲路に迷ふ嶺の一声」で無判だが、私なら家隆を絶賛の上勝たせる、と。


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