ほととぎす鳴くや五月のあやめ草‥‥

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−表象の森− Pieta−ピエタ

 Pieta−ピエタ−とは元来、福音書には記載のない、イタリア・ルネッサンス期に登場した新しい主題(画題)といえる。原義はイタリア語で「慈悲」だが、ここでは「哀悼」の意で用いられる。物語的には「十字架降下」の延長上の場面といえようが、この主題の中心となるのは、キリストの亡骸を抱いて悲しみにくれる聖母マリアであり、いわば「嘆きの聖母像」というべきもの。


ミケランジェロが弱冠23才の時に制作したという初期の傑作「サン・ピエトロのピエタ」(1499年)はあまりにも著名だが、彼にはその他に三つの「ピエタ」がある。1555年頃に完成したという「フィレンツェのピエタ」と、あと二つは「ロンダリーニのピエタ」「パレストリーナのピエタ」、どちらも未完ながら、それゆえに却って観る者の想像力を掻き立てる一面もあるといえそうだ。


絵画では、ミケランジェロとほぼ同時期のボッティチェリが同工異曲ながら二つの「ピエタ」を残している。1490年頃作の「ピエタ」-1、1495年頃作とされる「ピエタ」-2。
他、ベリーニの「ピエタ」1460年頃、デッラ・ポルタの「ピエタ」1512年作、デル・サルトの「ピエタ」1524年頃作、ティツアーノが晩年に描いたという「ピエタ」1576年作、といったところが主なもの。


ピエタ」とは、ある意味でイタリア・ルネッサンスの最盛期に相応しいような新しいテーマであったと思えるが、1545年から1563年にかけて開かれた「トリエント公会議」において、ピエタ−嘆きの聖母像−は、マリアの人間的弱さを露呈する図像であると、聖母マリアの至上化をはかる教皇らによって否認され、この後は姿を消していく。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−12>
 ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな   詠み人知らず

古今集、恋一、題知らず。
邦雄曰く、古今集恋の詠み人知らずには秀歌絶唱多く、この「あやめ草」は随一、後世数知れぬ本歌取りを生んだ。上句は第四句を導き出すための序詞、とは言いながら、この溢れきらめき、匂い立つような季節感は、単なる序詞に終っていない。結句「恋もするかな」の「も」一音でもって、真夏五月のものうさが伝わってくる、と。


 うちしめりあやめぞかをるほととぎす鳴くや五月の雨の夕暮   藤原良経

新古今集、夏、五首歌人々に詠ませ侍りける時、夏歌とて。
邦雄曰く、良経満26歳の作、「あやめ草」の本歌取り数多ある中、比肩を許さぬ秀歌として聞こえる。微妙な二句切れの呼吸が一首の要で、近景から遠景へとさっと眺めがひろがる、その瑞々しく匂いやかなこと、嘆声が洩れるばかり。複雑な手法が巧みの跡も止めない。恋歌を純粋な四季歌に変えた、と。


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