時やいつ空に知られぬ月雪の‥‥

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−表象の森− 上京第27番組


維新の明くる年、明治2年の今日、5月21日、早くも日本初の小学校が京都に登場している。その名が「上京第27番組」小学校である。上京第27番組とは奇妙な名と思われようが、いわゆる封建時代の遺制である町組制度に基づくものだ。
明治維新により東京遷都となって、千年の古都を誇った京都は一地方都市として衰退することを怖れ、近代都市をめざしていち早く取り組んだのが、町ぐるみでの小学校開設だった。京都市内では明治2年のこの年に早くも64の各町番組に小学校を開校させているという。その第一号が上京第27番組小学校だったという訳である。この各町番組の学校建設にはこぞって町衆(市民)たちが立ち上がり、惜しみない協力支援があったとされるが、さもありなん、この事業はむしろ市民たちこそが主体とならなければ成り立ち得なかったろうし、町衆たちの強い教育意識の発現でもあったろう。

明治政府が近代化への歩みとして学制(学校制度)を公布するのが明治5年(1872)で、これに先立つのはもちろんだが、この公布で直ちに全国津々浦々に小学校が開設されていったかといえば、なかなかそうはいかなかったようである。明治12(1879)年には学制を改め新たに教育令を発布、さらに明治19(1886)年には小学校令を発布することになるが、この小学校令はさらに明治23(1890)年の第二次、明治33(1900)年の第三次と後続することとなる。小学校開設が全国にくまなく波及していくのは、おそらくこの頃まで時間を要したのではなかったかと推測されるのだが、これに比べて古都の町衆たちの先取性はさすがと感心させられる。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−13>
 時やいつ空に知られぬ月雪の色をうつして咲ける卯の花   覚助法親王

玉葉集、夏、題知らず。
建長2(1250)年−建武3(1336)年、後嵯峨院第十皇子、母は藤原孝時女。幼少にて出家、聖護院宮と称される。歌才にすぐれ二条為世・為藤・頓阿らを招き歌会をよく主催した。続拾遺集初出、勅撰集に89首と、歴代親王のなかでも出色。
邦雄曰く、雪月花の、花は桜を夏の空木の花に転位し、その花の色を雪・月に譬えた。堂々たる初句切れの後に、あたかも白扇をひろげて天を望むかの第二句以下、実に気品のある浮くしい調べをなす、と。


 おぼつかないつか晴るべき侘び人のおもふ心やさみだれの空   源俊頼

千載集、夏、堀河院の御時百首の歌奉りける時、五月雨の歌とて。
邦雄曰く、長雨の晴れ間を鬱々と待ち侘びる人の心、空はすなわちそのまま胸中を映す。溜息に似た初句切れは、切れるとも見えず第二句に滲み入り、二句切れもまたおぼろに三句に繋がる。思いはそのまま調べとなり、まさに薄墨色にけぶって、ものの輪郭も心の姿も定かならぬ五月雨の情趣を写した、と。


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