橘のにほふ梢にさみだれて‥‥

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−表象の森− 満年齢と新制

5月24日、今日は何の日かとググってみれば、「年齢を満で数える法律」が公布されたとあった。昭和24(1949)年のことだ。法の施行は翌25(1950)年1月1日からだったという。
満年齢の適用は終戦後すぐのことだろうと、あまり深く考えもせず、てっきりそう思い込んでいたので、少々意外な気にさせられた。明治の帝国憲法から昭和の新憲法へと、公布が昭和21(1946)年の11月3日で、施行が翌22(1947)年5月3日なのだから、その日程に準じたあたりが順当だろうと思っていた訳だ。なんで戦後4年も5年も経ってから変わるんだよ、と首をかしげつつ、ほんの数秒ばかり頭をめぐらせてみて、これは旧制から新制へと学制の移行と歩調を合わしたに違いないと思いあたった。

戦後の学制改革、旧制から新制への移行には、昭和21(1946)年から旧制大学の最後の入試となる25(1950)年まで移行措置が取られているが、これに合わせて、学校教育法において学齢期の定めを設けている。曰く「満6歳に達した日の翌日(満6歳を迎えた誕生日)以後における最初の学年の初め(4月1日)から満15歳に達した日の属する学年の終わり(3月31日)までが学齢期」である。詳しくは「年齢計算ニ関スル法律」、満年齢を参照せよということになる。

さしずめ昭和19年生まれの私など、24年の正月には、今日からおまえは6歳だといわれ、翌25年の正月には7歳になるはずのところ、満5歳へと減じられ、7月の誕生日を迎えて、ふたたび6歳となった訳だ。まだ子だくさんの家庭が多かった時代、親たちこそ紛らわしくてさぞ混乱したことだろう。
そういえば、就学期の「七ツ行き・八つ行き」という言い様があったが、これは一向になくならず、大人たちはよく使っていた。誰それは早生れだから七つ行き、誰それは遅生れだから八つ行きなどと、親たちが言うものだから、幼かった私などしたたかに刷り込まれてしまったとみえ、自身大人になり子を持つに至って、はてこの子は七つ行きだったか、八つ行きだったかと、まことにお笑いぐさだが、つい考えてみたりしたこともあった。思わぬところに刷り込みや習い性のあるもので、それらの呪縛から自身を解き放つのはなかなかに難しいものなのだ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−15>
 五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする   詠み人知らず

古今集、夏、題知らず。
邦雄曰く、伊勢物語第六十段に見える歌。愛想を尽かして出て行った妻が、他家の主婦となっているのに邂逅、酒を酌ませ、肴の橘を取ってこの歌を口ずさむ。女は過去を恥じて出家する。元は男の不実ゆえであろうに、あはれ深い咄である。橘と袖の香のアンサンブルは、この歌をもって嚆矢とし、後生数多の本歌となった、と。


 橘のにほふ梢にさみだれて山ほととぎす声かをるなり   西行

聞書残集、雨中郭公。
邦雄曰く、西行に時鳥・郭公の秀歌数多あるも、残集の冒頭近くに見える数首もなかなかの趣。殊に「声かをるなり」は独特の味わいをもつ。「かをる」は「にほふ」を受けつつ「靄(かお)る」の意もある。この即妙の移り、結句のきっぱりした響きは、いかにも西行らしい一首、と。


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