雨はるる軒の雫に影見えて‥‥

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−表象の森− 明治ミリタリィ・マーチ−02

<根源の解体>――「戦友」

 「敵は幾万」や「勇敢なる水兵」などの軍歌、「箱根八里」などの中学唱歌、そして寮歌から「鉄道唱歌」までをふくむおなじリズム型、単一強化の行軍リズムとでも名づけるべきものが明治ミリタリイ・マーチの本質であった。
そして上限における強化に対して、下限からの自己解体を含んであらわれたのが、テンポの二重化であり、<規範−心情>の乖離そして<間のび−思い入れ>であり、ついには行軍リズムそのものを三拍子的にひきのばすにいたるのである。
――その分岐をなすのが明治38年の「戦友」である。
あたうかぎり理念化され――加速的に進軍しつづけた明治的二拍子リズムは、そのピークをすぎていまや減速――すなわちなんらかの現実化を迫られる。些か比喩的にいうなら、このリズム自体の内部に、<ゆきだおれ>を含まざるをえない――それを象徴しているのが「戦友」である。
「これが見捨てて置かりょうか、しっかりせよと抱き起こし‥‥」というように。

        ――― 菅谷規矩雄「詩的リズム−音数律に関するノート」より抜粋


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−18>
 かきつばた衣に摺りつけますらをのきそひ狩りする月はきにけり   大伴家持

万葉集、巻十七、天平十六年四月、独り平城の旧き宅に居て作る歌六首。
邦雄曰く、青紫色の花摺り衣を着て、出で立つは着襲(きそい)狩、すなわち鹿の若角等、後には薬用植物を採集した薬狩。雄渾壮麗ともいうべき、家持独特の美意識の横溢する秀歌で、調べも実に若々しい、と。


 雨はるる軒の雫に影見えて菖蒲にすがる夏の夜の月   藤原良経

秋篠月清集、百首愚草、南海漁夫百首、夏十首。
邦雄曰く、長雨は夕方になって霽れたがなおしたたる雨垂れ、その水滴の伝う軒に葺かれた菖蒲の彼方、消え残る月。すべて黒一色の影絵、宵ひとときの淡い三日月の逆光に見る一種慄然たる負の世界。冴え渡った詩人の眼は、すでに現実の風景から遙か他界を凝視しつつあったのだ、と。


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