さみだれに花橘のかをる夜は‥‥

0412190221

−表象の森− 明治ミリタリィ・マーチ−03

<間のび−思い入れ>−センチメンタリズム

社会にむかう大衆の「ナショナリズム」がセンチメンタリズムとして表現されるに至る過程とは、2/4拍子と同一のリズム原理を保持しつつ――2/4→4/4→6/8→3/4拍子‥‥と変貌をかさねてゆく過程である。
上限からの脱落は、<近代>的強弱拍そのものの回避を意味した。そして強弱リズムをあらかじめ放棄した、土謡的な等時拍三音の発想を西洋風の三拍子に癒着せしめそこに定住すること――「青葉の笛」がそうであり、また近代唱歌のひとつの到達点というべき「故郷」がもっとも典型的に示しているのも、それ以外ではない。この過程が意味するのは、上限から下限へ、また下限から上限へ、<根源=局限>がほとんど同一的に循環を繰り返している定型様式の所在である。

けれども、まずテンポの二重性<規範−心情>となってあらわれた違和の本当のモティーフは、<三拍子とはなにか>を深く本質的に問うことの涯に、みずからの根源を同一循環から切り離し解き放ち、まったく別の原基=原理に立たしめようとする志向ではなかったのか――もちろんあくまでも、<音楽>ではなく<詩>の問題として。
  ――― 菅谷規矩雄「詩的リズム−音数律に関するノート」より抜粋


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−20>
 ほととぎす皐月水無月分きかねてやすらふ声ぞ空にきこゆる   源国信

新古今集、夏、堀河院御時、后の宮にて、閏五月郭公といふ心を
延久元(1069)年−天永2(1111)年、村上源氏の裔、右大臣源顕房の子、権中納言正二位。堀河院歌壇で活躍、自らも源俊頼・藤原基俊ら当代歌人を集め歌合を主催。「堀河百首」を詠進。金葉集初出。
邦雄曰く、例年の五月の次に閏五月、五月が二度ある暦法の変則を、知らぬ鳥がとまどって、鳴こうか鳴くまいか、水無月なら季節外れになると、その弱々しい声を、遠慮がちに聞かせるとの趣向。12世紀初頭、金葉集時代の、詞書あっての面白さで、嫌う人もあろう。あくまでも出題に際しての、当意即妙を楽しむべき一首、と。


 さみだれに花橘のかをる夜は月澄む秋もさもあらばあれ   崇徳院

千載集、夏、百首の歌召しける時、花橘の歌とて詠ませ給うける。
邦雄曰く、たんに橘の花が香るのではない。五月雨の夜、月も星もない漆闇の中に、あの冴え冴えとした酸味のある芳香が漂うのだ。明月天に朗々たる秋夜も何しょう、私は雨夜の橘を愛するとのおおらかな宣言。一種悲壮な潔さを感じさせ、彼の惨憺たる晩年を予言するかのよう、と。


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