風変はる雲のゆききの夕しぐれ‥‥

0511291931

−表象の森− 琵琶弾き語りによる説経小栗の草稿−承前

<照手の車曳き>
生まれぬさきの身を知れば、生まれぬさきの身を知れば
哀れむべき親もなし
運命の糸の綾ふしぎ、今業平とうたわれし、判官小栗の成れの果て、
知るや知らずやともどもに、変わり果てたる互いの姿
善根功徳の一滴、せめて積みたや一重二重、情けが頼みの曳き車
照手この由聞こし召し、千僧万僧及ばぬとて、たとえ一刻一夜とて
夫の供養となるならば、一曳き雌綱を曳きたやな
愛し殿御の面影抱いて、二曳き雄綱を曳きたやな
心はものに狂はねど、姿を狂気にもてないて
曳きつまろびつ、まろびつ曳きつ
餓鬼阿弥乗せたる土車、一曳き引いたは千僧供養
めぐるえにしの土車、二曳き引いたは万僧供養
罪障消滅、餓鬼阿弥陀仏補陀落浄土は熊野の道へ
えいさらえい、それえいさらえい、
えいさらえい、やれえいさらえい、と曳き出だす
姫が涙は垂井の宿、高宮河原に鳴くひばり
姫を問ふかよ優しやな、御代は治まる武佐の宿
眼なし耳なし餓鬼阿弥に、心の闇がかき曇り
鏡の宿も見も分かず、あらいたわしやと姫が裾
露は浮かねど草津の宿、えいさらえいと曳き過ぎて
三国一と聞こえも高き、瀬田の唐橋夕べに映えて
水面に映す二つの影も
やがてとっぷり暮れゆけば、夜のしじまに沁みわたる
石山寺の鐘の音に
餓鬼阿弥、照手もろともに、偲ぶ面影熱き胸
憂き世の無常を告げるごと、蕭条として響きけり
蕭条として響きけり


<小栗街道、くまのみち>
とも跳ねよ、かくてをどれ、こころこま
弥陀の御法と聞くぞうれしき
照手悲しや後ろ髪、逢ふは別れの逢坂の関、涙にくれて西東
頼みの綱はたれかれと、道行く人の気まぐれに、任せてあれや土車
雌綱を曳くはをなごども、雄綱を曳くはをのこども
やがて過ぎにし都の城、桂の川も、えいさらえいと引き渡し
淀の葦原風そよぐ、浮き草にさえ較ぶれぬ
藁にもすがる命の灯ならば、情けを頼みの土車
汝はいざ知らず吾れもまた、などか人の心は計り知れぬものなりや
曳きて継がれて、継がれて曳きて、あなかしこやなめでたやな
沈む夕陽に照り映えて、荘厳の輝きめくるめく
此処は難波津、聖徳の太子も所縁は、四天王寺へと着き給ひけり


   聞いたか、聞いたか、   聞いたぞ、聞いたぞ
   一曳き引いたは、千僧供養   二曳き引いたは万僧供養
   罪障消滅、功徳じゃ、功徳じゃ
   えいさらえい、それえいさらえい
   えいさらえい、やれえいさらえい
   信、不信をえらばず、とや   浄、不浄をきらわず、とや
   跳ねば跳ねよ、をどらばをどれ
   とも跳ねよ、かくてもをどれ
   小栗街道、くまのみち   ありがたやの熊野の宮は
   あっちか、こっちか   こっちか、あっちか
   補陀落浄土へ、くまのみち   ありがたやの湯の峯は
   あっちか、こっちか   こっちか、あっちか
   餓鬼阿弥小栗の、つちぐるま   これぞ亡者のくまのみち
   一曳き引いたは、千僧供養   二曳き引いたは万僧供養
   えいさらえい、それえいさらえい
   えいさらえい、やれえいさらえい
   エイサラエイ、エイサラエイ


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑−15>
風変はる雲のゆききの夕しぐれ霽れ間を袖に知らぬ身ぞ憂き   下冷泉政為

碧玉集、恋、聖廟法楽百首当座、宋世亭にて、寄雲恋。
邦雄曰く、袖は涙に濡れて乾く暇もないとは、沖の石の讃岐以来の決まり文句だが、この歌、むしろ「袖」を従として、冬空の慌ただしい変容を巧みに表現したところに見所あり。雑の部「薄暮雲」題の「名残ありと跡吹きおくる山風の声をうつまでかへる白雲」は叙景歌ながら、心理の彩をなぞらえて歌っている趣きあり。冷泉の流れの中では出色、と。


ともし火と頼めてあかき月をさへ雲にそむくるさやの中山   玄譽

玄譽法師詠歌聞書、大永六年三月十一日会、雑、佐夜中山。
生没年、伝不詳、16世紀前葉の人か。
邦雄曰く、詞書あり、「此の題にて、雲は閨月はともし火、と詠みたる歌侍るあひだ、如此仕候」 引用は藤原良経の秋篠清月集「院初度百首」、「かくしても明かせば明くるさやの中山」であろう。勅撰不載のこの歌を採るのは、良経に傾倒する徴か。本歌よりもさらに翳りの多い技巧的な詠風。冷泉家の風を享けた歌人と思われる、と。


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