思ひやれ都はるかに沖つ波‥‥

Nakahara0509180981

−表彰の森− 「愛染かつら」−昭和十三年

「愛染かつら」の映画が全国の女性を熱狂させたという昭和13年。――
主題歌の「旅の夜風」
――花も嵐も踏み越えて、行くが男の生きる途、泣いてくれるなほろほろ鳥よ、月の比叡を独りゆく
一種行進曲風のスタイル、とくに第一節の歌詞は、股旅ものと軍歌を折衷させたようなところがある。
もうひとつの主題歌「悲しき子守唄」
――可愛いいおまえがあればこそ、つらい浮世もなんのその、世間の口もなんのその、母は楽しく生きるのよ
「旅の夜風」に対して、此方は<間のび=思い入れ>型三拍子の典型であり、しかもこの曲では、すでに感性の下降様式=センチメンタリズムは、いっさいの社会的意味を失って、母性本能といった自然性を装わざるをえないところにまでゆきついている。それが逆にこの歌の時代・社会的意味を体現する。その仮象は、裏返せばすぐにも愛国の母といった名辞=イデオロギイに転移するはずのものである。
      ――― 菅谷規矩雄「詩的リズム−音数律に関するノート」より


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑−16>
 思ひやれ都はるかに沖つ波立ちへだてたる心ぼそさを   崇徳院

風雅集、旅、松山へおはしまして後、都なる人の許に遣はさせ給ひける。
邦雄曰く、保元元(1156)年7月23日、崇徳上皇は讃岐に遷された。時に37歳、以後8年、崩御までついに都への還御を、8歳下の後白河法皇は許さなかった。命令形初句切れは哀訴を含んだ恨みの言葉。血肉の憎しみを知る崇徳は、おそらく都へ還ることは諦めて流されたことだろう。「立ちへだてつる」は波ではなく、弟であったかも知れない、と。


 かぎりなく結びおきつる草枕いつこの旅を思ひわすれむ   藤原伊尹

新古今集、恋三。詞書に、忍びたる女を、仮初めなるところにゐて罷りて、帰りて、明日に遣はしける。
邦雄曰く、隠し妻と過した一夜の暁の後朝の歌。旅寝の草枕の草を行く末限りなくと引き結ぶことに譬えての詠。下句は本によって幾通りかあるが、濁れば「何処の旅」とも読めることは一興。新古今には十首入集したが、それすべて恋の部ばかりというのも面白い、と。


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