渡れどもぬるとはなしにわが見つる‥‥

Nakahara0509181211

−表象の森− 蕭白

 「郡仙図屏風」の奇矯破天荒な異様世界に圧倒されるかと思えば、「蓮鷺図」の滋味溢れる柔和なタッチと構図のこれぞ水墨画という幽谷世界の対照に眼を瞠りつつ、蕭白の画集(講談社刊−水墨画の巨匠第8巻)に眺めも飽かず日ながひとときを過ごす。

岡田樗軒の「近世逸人画史」では、「曽我蕭白、勢州の人なり、京摂の間に横行す。世人狂人を以て目す、其画変化自在なり、草画の如きは藁に墨をつけてかきまはしたる如きものあり、又精密なるものに至りては余人の企て及ぶものにあらず。」とあるそうな。「世人狂人を以て目す、其画変化自在なり」とは然もありなん。「画家なら誰でも狂人に憧れるはずだ」と横尾忠則も畏敬を込めて書いている。
白井華陽の「画乗要略」には「曽我蕭白、号蛇足軒、又号鬼神斎、不知何許人、−略−、山水人物皆濃墨剛勁、筆健気雄、姿態横生寛以怪醜為一派。」とあり、「怪醜」を以て一派を為す、とは蕭白画の本質を一言でよく突いている、と言うのは狩野弘幸。

双幅と二曲一双の二様ある「寒山拾得図」の面妖なる人物造型も惹きつけてやまぬものがあるが、「松に鷹図」や「鷲図」など、稠密な描線と荒々しいまでの筆致を同じ画面に混在させ、過剰なまでの生動感を現出せしめている図にもまた魅入られてしまう。

「画を望まば我に乞ふべし。絵図を求めんとならば円山主水(応挙)よかるべし」とは蕭白自身の言だそうだが、江戸も後半期へとさしかかった宝暦・明和の頃、上方文化の爛熟も愈々極みに達せんとしていたのだろうか、無頼の魂ともいうべき、内なる情念が迸るかの如き奔放な自我の表出が可能となる時代精神だったのかもしれない。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑−18>
 渡れどもぬるとはなしにわが見つる夢前川をたれに語らむ   壬生忠見

忠見集、播磨の夢前川を渡りて。
生没年不詳、10世紀中葉の歌人。忠岑の子。三十六歌仙拾遺集以下に36首。
夢前川−播磨国の歌枕、中国山地雪彦山に発して南流、夢前町姫路市を経て、播磨灘に注ぐ。
邦雄曰く、名所詠でも歌枕詠でもなく、摂津大目に任ぜられた作者の現実の旅の作であるところが面白く、稀なる美しい名「夢前川」を見事に生かしている点も珍重するに足りよう。「濡る−寝る」の懸詞も、「見つる夢前川」の響き合いも、まことに自然である、と。


 松原の嵐やよわるほの見てし尾上の緑また霞むなり   後花園院

後花園院御集、下、霞、寛正四年閏六月。
邦雄曰く、吹き荒れていた春の嵐がやや鎮まって、松の緑の梢がようやくつばらかに見え、その彼方には青黛の嶺が、うらうらと霞みはじめる。動から静に移る海浜風景を捉えて、絵には描けぬ時間の経過をも歌った。第二・第三句が巧妙。15世紀中葉の和歌の一面を代表する、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。