けふもけふ菖蒲も菖蒲かはらぬに‥‥

0511292121

−表象の森− ドナテッロの「マグダラのマリア

ものづくりにおける手技(てわざ)の果てしなき格闘というものは、時にその人の想念を超えて、思いもせぬ結実にいたることが、滅多とないことだが、稀にあるものだ。
わが師の神澤は、これを「Demonの宿りし」或いは「Demonに魅入られる」などとよく言っていたが、彼ほどには近代的自我に覚醒もせず、強靱な自己意識も持ち合わせ得ぬ私であれば、Demonなどという言葉はとても出てこない。さしずめユング流の「集合的無意識」あたりにご登場願うのが適当かと思っているのだが‥‥。


もう6年も前になるが、フィレンツェのドウモ附属美術館で観たドナテッロの「マグダラのマリア」は衝撃的な作品だった。回廊からさほど広くない細長いその部屋に入った途端、壁に掛かった磔刑キリスト像に向かって室内中央に立つ像の、そのモダニティ溢れる異容な佇まいが発する情念の衝迫力に、これがイタリア・ルネサンス期のものかと我が目を疑うような思いに囚われた。その驚愕の波がやや静まってから私の脳裏をよぎったのは20世紀シュールレアリスムジャコメッティの彫刻作品だった。乱暴に過ぎるとおおかたの誹りを受けることだろうが、「マグダラのマリア」像とジャコメッティの彫刻に、ひどく近接するものを、私はそのとき感じていたのだ。
自身の浅学蒙昧ぶりを曝すようで恥じ入るばかりだが、このところ塚本博著の「死せるキリスト図の系譜」と副題された「イタリア・ルネサンス美術の系譜」を読みながら、ミケランジェロにほぼ1世紀先行したこの像の作者ドナテッロについて、私はほとんど何も知らなかったことを思い知らされつつ、あらためて「マグダラのマリア」の記憶を手繰り、想いをめぐらせていた。


塚本博の評言をそのまま借りれば、
ルネサンス美術の舞台は、その前半をフィレンツェが務めるが、やがてその流れは北上し、パドヴァヴェネツィアにも新たな潮流が生まれる。この北イタリアの動きをフィレンツェ美術に連動して把握することで、むしろ中世との関連も明らかとなる。この華麗な廻り舞台のような二幕場面を往来架橋する美術家が、フィレンツェの彫刻家ドナテッロであり、
ドナテッロの彫刻は、15世紀初頭にあって写実様式を打ち立てるだけでなく、物語性と記念碑性の両極に緊張関係をもたらした。これは彫刻における「ドラマの集約性」とでも呼ぶべき造型原理であり、S.リングボムに言わせれば「クローズ・アップされた物語」ともいうべき方法である、となるが、
たとえば、ミケランジェロの彫刻群と、ドナテッロのそれらを比較してみれば、ドナテッロからミケランジェロへと、イタリア・ルネサンスの造型がまさに花開き見事に完成態へと移行していくプロセスとして対照できるかと見えるのだが、ひとり「マグダラのマリア」像だけはそこからあきらかに外れてしまっているのではないか、と私には感じられる。「ドラマの集約性」ないし「クローズ・アップされた物語」との評言はまことに当を得たものと思われるが、この「マグダラのマリア」においては、それをも超えてなお過剰なる凝縮が、私を博ってやまないのだ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−21>
 みちのくの安積の沼の花かつみかつ見る人に恋ひやわたらむ   詠み人知らず

古今集、恋四、題知らず。
安積(あさか)−陸奥国の歌枕、福島県郡山市和田町北東にある安積山の辺り。
邦雄曰く、恋四の巻首を飾る歌。「花かつみ」は野花菖蒲を指すのが定説。上句の序詞は名所を季節感と共に描き出し、その序詞に導かれた「かつ見る人」からの恋の趣に精彩を添えた。この同音異義のルフランの軽やかさが、初夏の花と初々しい恋の心を、ひときわ印象的にしている、と。


 けふもけふ菖蒲も菖蒲かはらぬに宿こそありし宿とおぼえね  伊勢大輔

拾遺集、夏。
生没年不詳。神祇伯大中臣輔親の女、能宣の孫。上東門院彰子に仕え、後、高階成順と結婚して康資王母らを生む。後拾遺集以下に51首。
邦雄曰く、永年住み馴れたところを離れて、他所に居を移した翌年の5月5日に作った歌。同語反覆による強調が、題詠等では生まれない感情の高まりを生き生きと伝える。たとえ茅屋から玉楼に住み替えたとて、宿に寄せるそれなりの懐旧の情はあろう、と。


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