問へと思ふ心ぞ絶えぬ忘るるを‥‥

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−表象の森− 学名「オタクサ」

紫陽花の学名をOtaksa−オタクサ−というそうだが、この名の抑もの由来、江戸も幕末の頃、長崎出島のオランダ商館付きの医師として来日したシーボルトが、その愛妾の呼び名「お滝さん」に因んでつけたものだ、というエピソードはかなり知られたことらしい。
昔の紫陽花はガクアジサイが本来の種で、現在に一般化した毬状のものは日本原産のガクアジサイを西洋で改良された品種というから、
芭蕉が詠んだ、
  紫陽草や帷子(カタビラ)時の薄浅黄
  紫陽草や薮を小庭の別座敷
の句など、うっかり毬状のアジサイを思い浮かべると鑑賞の筋もあらぬところへいきかねない、と安東次男が教えてくれている。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−22>
 問へと思ふ心ぞ絶えぬ忘るるをかつみ熊野の浦の浜木綿    和泉式部

後撰集、恋五、いくかさねといひおこせたる人の返事に。
邦雄曰く、万葉・巻四、人麿の「み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へどただに逢はぬかも」の本歌取り。式部のこの歌、すでに本歌を忘れさせるくらい文体を異にし、二句切れの息を呑んだようなアクセントや、三句から四句への凄艶な、思いを込めた調べも見事。続後撰集選者為家の炯眼が見出した一首、と。


 天の原空ゆく月や契りけむ暮るれば白き夕顔の花    藤原家隆

壬二集、大僧正四季百首、夕。
邦雄曰く、天にかかる月、地に花開く夕顔、いずれも仄白く短か夜のあやうい宵闇に、互に何かを約しているように見える。森羅万象のなかの不可思議を、「契りけむ」一句に集約して、この遙々とした秀歌は、静かに発光する。夕顔は瓢の花、今日言うビルガオ科のそれではない。瓜の花も窈窕として意外に美しいものだ、と。


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