移り香の身にしぼむばかりちぎるとて‥‥

0505120281

−表象の森− 引き続き閑話休題、22625日

数日前の夕刻のこと。私がすっかり失念していたものだからだろうが、同居の連れ合いが「今日は私の誕生日でした。」と藪から棒に声高に宣うたものだから、そばに居た幼な児はビックリしたように母親をふりかえって一瞬ポカンとしていた。これには些か私もたじろぎつつ、「そうだ、そうだった、悪い、悪い」と忘れていたのを謝って、幼な児と一緒になり「Happy Birthday」を一節唄ってさしあげて、事なき?を得る。

ところで、「こよみのページ」に日付の電卓なるコーナーがあったので、暇つぶしの一興に計算してみたところ、70(S42)年生れの彼女は、本日でもって延べ13152日生きたことになる。まだ4歳の幼な児はわずか1716日だが、44(S19)年生れの私はといえばなんと22625日を数える。
歩くにせよ、電車やクルマに乗るにせよ、仮に私が一日平均20㎞の移動を毎日してきたとすると、これまでに延べ452,500㎞の移動距離となる。赤道付近の円周は約40,077㎞だそうだから、この数字は地球を約11.3周したことになる。地球から月までの中心距離は384,400㎞だから、私の場合この計算でいくと、すでに月にたどりついて帰り道の途上にあることになるが、残りの寿命を考えると、どうみても無事に地球に帰り着けるとは思えない。

と、まあ計算上はこうなるが、あまりピンとこないことではある。
そろそろ62年になるという自分自身の来し方を、おしなべて22625日としてみたところで、その数字の多量さにある種の感慨は湧くものの、22625日という数値が惹起するものは却って平々坦々としてどうにも粒だってくるものがない。年々歳々、62年として振り返ってこそ、そこに節目々々もあきらかに想起され、自身の有為転変、紆余曲折の像が結ばれもしてくるというものである。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−28>
 樗(アフチ)咲くそともの木陰露落ちて五月雨はるる風わたるなり   藤原忠良

新古今集、夏、百首奉りし時。
長寛2(1164)年−嘉禄元(1225)年、藤原五摂家筆頭近衛家の祖、六条摂政基実の二男。九条兼実慈円の甥にあたる。後鳥羽院千五百番歌合では判者の一人。千載集初出、勅撰入集69首。
樗(アフチ)−センダン(栴檀)の古名、花の色が藤色にちかく亜藤(アフヂ)が転訛したかとされる。
邦雄曰く、建仁元(1201)年2月の老若五十首歌合中の作で、詞書は誤記であろう。忠良最良の作であり、新古今・夏の中でも際立つ秀歌。樗の薄紫の花の粒々が、雨霽れてしばしきらきらと息づいている。作者は家の中から眼を細めて眺める。単純な叙景歌だが、心・詞共に、爽やかに清々しく、味わいは盡きない、と。


 移り香の身にしぼむばかりちぎるとて扇の風のゆくえたづねむ   藤原定家

拾遺愚草、員外、一句百首、夏二十首。
邦雄曰く、建久元(1190)年6月の作、満28歳。夏に入れてはいるが清艶無比の恋歌であり、殊に嗅覚をメディアとして官能の世界を描いたところ、名手たる所以であろう。上句から下句への軽やかに微妙な移り方も、感嘆に値する。薫香に混じって、二人の体臭まで匂ってくるようだ、と。


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