さざれ石のおもひは見えぬ中河に‥‥

0511270031

−表象の森− 金子光晴をいま一度

金子光晴の「こがね虫」や「鮫」などの初期詩編はともかく、その晩年についてはほとんど知らないにひとしい私だが、光晴忌に因んでネットに散見できるものをいくつか読みかじってみたところ、もともと初期詩編にかなりの衝撃を受けた身であれば、大いに惹きつけられ心が波立ったものである。彼が晩年に著わした「絶望の精神史」や自伝とされる「詩人」、あるいは詩集としての「人間の悲劇」など、近く読んでみたいと思う。さらには妻・森三千代との波乱に満ちた二人三脚ぶりにも触れてみたい。


強靱な反骨・抵抗の精神と独特のダンディズムに生きた1895(明治28)年生れの金子光晴は、明治・大正・昭和と異なる三代を、まさに固有の魂として放浪しきった、とみえる。
1975(昭和50)年の今日、未刊詩篇「六道」を絶筆として、持病の気管支喘息による急性心不全で死に至る。満80歳だった。
奇しくも2年後の6月29日、たった一日違いで、妻・森三千代も76歳でこの世を去っている。
彼が1937(昭和12)年に発表した詩「洗面器」は、戦後、1949(昭和24)年刊行の「女たちのエレジー」に所収されるが、いくつか私の記憶にも残る詩編の一つだ。


「洗面器」
    僕は長年のあひだ、洗面器といふうつはは
    僕たちが顔や手を洗ふのに湯、水を入れるものとばかり思つてゐた。
    ところが、爪哇人たちは、それに羊や魚や
    鶏や果実などを煮込んだカレー汁をなみなみとたたへて
    花咲く合歓木の木陰でお客を待つてゐるし
    その同じ洗面器にまたがつて広東の女たちは
    嫖客の目の前で不浄をきよめしやぼりしやぼりとさびしい音をたてて尿をする。
       ―― ※ 爪哇人(ジャワ人)

 

  洗面器のなかの
  さびしい音よ。


  くれていく岬(タンジョン)の
  雨の碇泊(とまり)。


  ゆれて、
  傾いて、
  疲れたこころに
  いつまでもはなれぬひびきよ。


  人の生つづくかぎり。
  耳よ。おぬしは聴くべし。


  洗面器のなかの
  音のさびしさを。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−31>
 さざれ石のおもひは見えぬ中河におのれうち出て行く螢かな  宗祇

宗祇集、夏、河螢といふことを。
邦雄曰く、さすが連歌の名手、水中の螢に「おもひ」の「火」を見、「あくがれ出づる魂」を言外に潜ませて、趣向を盡した古歌の螢とは、別種の世界を招いた。「いたづらに身を焚きすつる虫よりも燃えてつれなき影ぞはかなき」も「螢」題、一首の中に螢を入れず、これを暗示するのも作者に相応しい技巧、と。


 樗咲く雲ひとむらの消えしより紫野ゆく風ぞ色濃き  正徹

月草、杜(モリ)の樗(アフチ)。
邦雄曰く、所謂、本歌取りとは趣を異にするが、この歌に匂う「紫」は、古今・雑上の詠み人知らず「紫の一本(ヒトモト)ゆえに武蔵野の草は皆がらあはれとぞ見る」を思い出させる。正徹の紫は樗の花を幻想の源として、風の吹くままに、瀰漫する色と匂い。しかも「花」も「野」も、それ自体は表に出ず、「雲」と「風」が仲立ちをなすことの巧妙さは無類である、と。


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