水鳥の浮き寝絶えにし波の上に‥‥

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−表象の森− サラダ記念日

今日7月6日は「サラダ記念日」だという。
一冊のベストセラーとなった歌集が記念日を産み落とすという日本の消費社会。超資本主義といおうと高度資本主義といおうと、当節、ホリエモンにしろ村上ファンドにしろ、私などにはよく解らぬが、禍々しくも怪異としか言いえぬようなことがいろいろとあるものだ。その伝ではサラダ記念日など微笑ましいかぎりで、罪のないカワイイものではないか、と言い捨てておけばそれでよいのかもしれない。

読売新聞が「サラダ記念日・短歌くらべ」なるコンテストを企画していた。応募総数が2148首、審査を俵万智独りがしたものかどうか判らないが、優秀賞11首、入選作20首が選ばれ公開されている。最優秀とされた、
 七月のレタスになりゆく吾の腹でねむれよねむれ児よもうすこし
の一首こそ些か肯かされる趣もあるかと思われるが、他の作はおしなべて低調、見るべきものを感じられぬ。企画・制作が東京本社広告局で、協賛がキューピー株式会社となっているところをみると、ちょいとした便乗ものに過ぎないから、まあ、作品の質云々などすべきではないのだろう。

そういえばこの4月に読んだ、岩波書店刊の「短歌と日本人Ⅳ−詩歌と芸能の身体感覚」のなかで久田容子は、俵万智「サラダ記念日」ヒットの理由を「アメリカ的なライト感覚」と「日本的な泥臭さ」とのミックスや、「可愛い女」という保守的な面と「男を棄てる自立女」というクールでドライな面の両面を併せ持っていたこととしたうえで、それぞれ例歌となるものを紹介している。
 空の青海のあおさのその間(アワイ)サーフボードの君を見つめる −アメリカ的ライト感覚
 今日風呂が休みだったというようなことを話していたい毎日 −日本的泥臭さ
 気がつけば君の好める花模様ばかり手にしている試着室 −可愛い女
 ハンバーガーショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう −自立した女
さらに、「サラダ記念日」人気のもう一つのカギは「物語性」の高かったこと。短歌の「一人称性」のもと、まるで若い女の青春小説のように読み進んでいけることにある、と結論づけていたが、成程わかりやすい。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−36>
 水鳥の浮き寝絶えにし波の上に思ひを盡きて燃ゆる夏虫   藤原家隆

壬二集、文治三年百首、夏十首。
邦雄曰く、家隆29歳の作。「思ひ」の火が燃え盡きて、しかもなお燃え続けねばならぬ虫のあはれを見ている。第一、二句で夜の河を描き出し、夏虫の死處を創るあたり、技巧的だ。秀句表現的な第四句も十分に奏功した。「夏虫をいとふばかりの煙にもあはれは深し夕暮の空」は、十年後の建久8(1197)年の作で題は「蚊遣火」だが、第四句が常識にすぎ凡庸に近い、と。


 行く方も定めなき世に水早み鵜舟を棹のさすやいづこぞ   藤原義孝

藤原義孝集。
邦雄曰く、古歌の鵜飼詠は、十中八九まで題詠で、いわゆる実写ではないが、義孝の鵜舟はすでにこの世から流れ出て、異次元を指している。無常の世から滔滔と奔り出て、さて行く先は無間地獄か西方浄土か。期待と不安こもごもの切迫した調べは20歳で夭折した詩人の、ただならぬ詩魂のきらめきでもあった。棹さすは神ならぬ、また人ならぬ魔の類か、と。


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