風さむみ岩もる水はこほる夜に‥‥

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−表象の森− 五百羅漢

過去に二度ばかり北条の羅漢寺(現・加西市北条町)を訪ねたことがある。
此処の五百羅漢の石仏たちは、すべてが素朴な形状でそれでいてわずかに表情はみな異なり、なにやら儚く侘しげで、黄昏迫る頃ともなると、郡立する羅漢たちに囲まれたわが身が、ふと彼らとともにあるかのような感懐をおぼえるのだ。
五来重の教えるところによれば、五百羅漢は江戸時代にいたって庶民信仰に広く浸透し全国各地に造立されるようになったという。
石仏にせよ木仏にせよ、その多くの羅漢のなかに肉親の死者の顔が見出され、ここに来れば亡き人に必ず逢えるという他界信仰に支えられている。九州の耶馬溪羅漢寺五百羅漢のように、幽暗な山中の洞窟に納められているのは、もともと洞窟が黄泉路にかよう入口であるという信仰であり、その黄泉路の境においてこそ死者と生者の対面も可能となることを、視覚的に現実化したものだということになろう。

 
「五百羅漢の世界へようこそ」というサイトでは、全国の主だった五百羅漢の所在地を教えてくれる。
40ヵ所ほどが紹介されたこの資料によれば、前述の耶馬溪羅漢寺が14世紀頃に成ったとされる以外、大半が江戸時代に集中しているのだが、意外なことに、昭和の終りから平成にかけてのこの20年ほどの間、発願造立されているのが9ヵ所を数えているというのには驚かされる。
二、三百年の時を隔てたこの現代に、時ならぬ五百羅漢造立のブームが起こっている訳だが、その背景に潜むものが奈辺にあるかは容易に語り尽くせぬものがあろうけれど、こうして現代に新しく生み出される五百羅漢たちを訪れてみたいものだとは、正直なところ一向に思えない私ではある。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑−22>
 伊勢の海の沖つ白波花にもが包みて妹が家づとにせむ  安貴王

万葉集、巻三、雑歌、伊勢国にいでましし時。
邦雄曰く、伊勢の沖には雲白の波が花のように砕け散る。花であってほしい。包んで持ち帰って妻への土産にしようものを。波の花を胸に抱えて夢に妻の許へ急ぐ男。安貴王は志貴皇子の孫にあたる。8世紀前半の万葉歌人、「明日行きて 妹に言問ひ わがために 妹も事無く 妹がため われも事無く」と情愛を盡した巻四の長歌にも、その心ばえを見る。と。


 風さむみ岩もる水はこほる夜にあられ音そふ庭の柏木  飛鳥井雅世

雅世御集、永享九年七月、石清水社百首続歌、柏霰。
邦雄曰く、細々として冴えた用言の頻出、「もる・こほる・そふ」と異例の文体が、冬夜の身も凍るたたずまいを如実に伝える。この「柏木」は檜・椹(サワラ)などの常緑樹ゆえ、霰の飛白(カスリ)に配するに暗緑の喬木、厳しくただならぬ眺めである。寄原恋の「人知れぬ涙の露も木の下の雨にぞまさる宮城野の原」もまた、冷え冷えとした趣、と。


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