天の川八十瀬も知らぬ五月雨に‥‥

Ichibun9811270941

−表象の森− 朝湯所望


 まこと60過ぎての手習いのほどは身に堪えるもの。
このところうちつづく体力消耗の日々に、疲労快復、気分一新と、朝風呂を所望。
下駄をつっかけ、チャリンコを駆って、幼な児を保育園に送り届けては、
そのまま、近頃、近所に見かけた扇湯なる、薬草風呂を謳った銭湯に初見参。入浴料390円也。
午前9時前の銭湯はさすがに閑散として、湯客はちらりほらり。
お蔭で、一坪ほどの狭い薬草風呂も、その隣の露天も、一人きりでゆったり堪能。
ヨモギ、オオバコ、ドクダミ、その他の混合されたのが、白布に包まれて、ポカリと重そうに浮いているだけの、ありきたりのものだが、いまのわが身にはありがたやの湯の峯だ。
ジャクシィも気泡もひととおり浸かって、またぞろ、薬草と露天を。
そりゃ、神戸の灘や処女塚のような、すぐれものの温泉銭湯に比ぶるべきもないけれど、
そこまで車を駆ってとなると、帰りがほろほろ眠くなって仕方なかろう。
湯から上がって、とろけたような身体を椅子に投出すようにして、煙草を一服、またぞろ一服。
これぞつかのまの太平楽


  朝湯すきとほるからだもこころも   山頭火


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−39>
 おしなべて深緑なる夏木立それも心に染まずやはなき   殷富門院大輔

殷富門院大輔集
邦雄曰く、緑陰のそのしたたる緑に心を染めて、さていかに悲しみを遣ろうと言うのか。王朝歌の夏の中ではめずらしい発想であり、第四句の「それも心に」の転調は、作者の才質をあらわす巧みさ。定家・家隆の先輩格の千載集初出歌人だけに、家集中には、放膽と見えるような自由な歌い放しの作が多々現れる。俊恵主催の歌林苑にも度々出席している、と。


 天の川八十瀬も知らぬ五月雨に思ふも深き雲の澪かな   藤原定家

千五百番歌合、夏二。
邦雄曰く、五月雨も五月雨、淀川でも飛鳥川でも富士川でもない。それは銀河のさみだれ。「八十瀬も知らぬ」とは、まさに本音であろうし、「雲の澪(みお)」で天上の光景に思いを馳せているのも明らか。左は藤原保の橘の香を歌った凡作。天の河が溢れて、とめどない霖(なが)雨となる幻想なら、現代でも通ろう、と。


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