月も日もいかに行きけむかきくれし‥‥

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−表象の森− 盆踊りの夏

昨夜はいち早く盆踊りの音が聞こえてきた。
この界隈では毎年先陣を切って、中加賀屋のグランドで行われている民商主催のもので、たしか今夜と二晩つづくはず。
音頭取りのゲストなどに華やかさはないが、そこは民商さんのこと、出店の類は盛り沢山だし、子どもたちへも抽選会などで惹きつけ、賑わいぶりはなかなかのもので、広いグランドも人で埋めつくされる。
昨夏は我が家でも幼な児を連れて出かけたものの、人一倍警戒心の強い彼女は、踊りの輪などに入れる筈もなく、せいぜいかき氷を頬ばるのが関の山で、徒に時間を費やしたものだったが、それでも「今夜は行こうネ」と、母親と約束していた。


  六十年踊る夜もなく過しけり

と詠んだのは一茶だが、これは文政5(1822)年の句で、五十路となって故郷へと舞い戻った一茶が、ちょうど還暦を迎えた数え60歳の年。
14歳で独り故郷を出奔して以来、この年まで、盆踊りの踊る夜とてなかった人生だったろう。
「踊る夜」とは青春の謳歌であり響きである。若衆たちの乱暴狼藉も許容され一種の治外法権ともなるハレの一夜だが、一茶にとって故郷の盆踊りは無縁のままにうち過ごしてきたものだ。
60年の我が身には「踊る夜もなく」去った青春への疼きや歎きが、胸の奥に熾火のように静かに燃えていたことだろう。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−40>
 水色の梢にかよふ夏山の青葉波寄る風のあけぼの   十市遠忠

遠忠詠草、大永7年中、新樹。
邦雄曰く、遠忠は16世紀初頭の有数の歌人で、しかも一時衰微した家が大領主となるまで敏腕を振るった。この青葉風まことに爽やかで優雅清心、官能的でさえある。初句の「水色」など古歌でも稀な用例に属する。その新感覚もさることながら、結句の「風のあけぼの」は、玉葉・風雅を承けて、さらに麗しい。二十一代集以後の特筆すべき歌人の一人、と。


 月も日もいかに行きけむかきくれしその世ながらの五月雨の空   三条西實隆

再昌集、寒暑遷流。
邦雄曰く、15世紀末から16世紀初頭にかけての、記念碑的貴族文人の本質を、一瞬映し出したかに味わい深い歌。永世16(1519)年姉小路済継一周忌に際しての作。「その世ながらの」に込めた感慨はただならぬものがある。上句の宇宙的な発想も、歌の柄をひときわ大きくした。家集の再昌集は和歌・発句・漢詩等、晩年の多彩な作品群の集成である、と。


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