暑き日の影よわる山に蝉ぞ鳴く‥‥

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−表象の森− 田中康夫3選ならず

立秋というのに台風の接近で天候は荒れ模様、明日未明にも紀伊半島から東海方面にかけて上陸かとみられている。
おまけに南方洋上には、8号、9号も北上中だが、こちらは列島本土を直撃することはなさそうで一安心。それにしても異常気象か、海水温の上昇が台風発生の緯度を押し上げているという。


一昨日の長野県知事選挙田中康夫が3選ならず落選。
単独選挙にも拘わらず投票率65.98%は、大阪府知事選や々市長選とちがって、県民の関心の高さをあらわすが、それでも知事不信任に端を発した出直し選挙の前回に比べれば7.8ポイント低く、その減少が田中落選に作用したかともみえるが、県議会や市町村と対話路線を求める県民感情からすれば、相変わらずの田中手法は独善に過ぎたと映ったのではないか。おまけに昨年の小泉流郵政解散新党日本の代表になるなど国政への積極的な発言や活動は、県民にとって理解を超えたパフォーマンスとしか映らなかったろう。2期目の4年間で田中知事への期待値は、とっくに潮目が代わって引き潮になっていたのだ。

だが、結果として壊し屋田中に終ったにせよ、長野県政にその功績は大きなものがあったのでないか。トリックスター田中康夫としてみるなら、その役割はすでに充分に果たしたというべきだろう。それよりも余所事ながら心配なのは、通産官僚を経て衆議院議員となり、国家公安委員長や防災担当相を経てきたという69歳の村井新知事には、頑迷な守旧派が巣くう県議会を相手に、いみじくも前回選挙で田中が標榜した「壊す」から「創る」への県政の転換という難しい舵取りが重くのしかかることになるが、彼は県民の期待と負託に応えきれるだろうか。
一旦田中康夫という新鮮で過激な個性を媒介に目覚めた県民の意識は、田中以前とは些か異なっているといえるだろうし、少なくとも変化に対してはかなり大胆になれるだろう。このいかにも保守色の強そうな新知事が、田中県政を経験し、新奇さや変化に対する抗体反応が以前とは違ってぐんと逞しくなっているであろう県民意識を、大きく読み違えることにならなければよいのだが‥‥。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−42>
 暑き日の影よわる山に蝉ぞ鳴く心の秋ややがて苦しき   宗祇

宗祇集、夏、百首歌中に、蝉。
邦雄曰く、上句は尋常である。第二句の細心な観照もさほど目に立たぬ。だが下句は一転、求心的に抽象世界を描き出す。今は夏、夏も暮れる。やがて秋、心もまた秋に入り、思えば悩みは深い。第四句は数多先蹤がすでに新古今時代に見られるが、第五句の暗澹たる独白調は独特だ。今一首続いて「遠からぬ秋をもかけじ鳴く蝉のうすき羽に置く露の命は」、と。


 夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてそ吾が来る妹が目を欲り  泰間満

万葉集、巻十五。
泰間満(はたのままろ)−泰真満に同じ、伝不詳。
邦雄曰く、恋人に逢いたい一心の、弾む息、アレグロの足取り、耳には生駒の蝉時雨。それも黄昏どき、頂上は標高642㍍のこの山、ひいやりと涼しかろう。大和へ行くのか河内へ来るのか。ヒグラシは陰暦6月末から9月半ばまで、朝の一時と夕の数刻鳴きしきる。結句の「妹が目を欲(ほ)り」は慣用句だが、切なくきらめく男女の眼が顕つようだ、と。


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