夕立の雲もとまらぬ夏の日の‥‥

N0408280781

−表象の森− 大沼の浮島伝説

山形県のほぼ中央、最上川中流域に位置する朝日町には、浮島伝説、小さな島々がポカリポカリと湖面に浮き動いているという、不思議な島々があるらしい。大沼浮島稲荷神社の浮島だ。
私は嘗て3度ばかり東北を訪れたことがあるが、当時はこの言い伝えも知らず、残念ながら訪れたことはない。
大沼浮島稲荷神社の浮島には、近世、出羽三山−月山、羽黒山湯殿山−に参詣した人々が見物に立ち寄り、30余あった宿坊は大いに賑わったと伝えられる。
浮島のある沼は、狐形で周囲765m、水深3mというごく小さなもの。湖上に大小60余りの島があり大きいものは3.6m、小さいものは30cm。中央の動かない島は葦原島と呼ばれる。浮遊する島の動きによって吉凶を占ったとも伝えられる。この島々が浮遊するという不可思議から、大正14年に「大沼の浮島」として国の名勝に指定された。湖畔には幾つか名所もあり「烏鵲(かささぎ)橋」は、七夕の夜牽牛星織姫星が年に一度会うために、かささぎが翼を並べて天の川を渡した故事から名付けられ、相愛の男女が橋を渡ると縁が結ばれるという。


浮島稲荷神社の宮司でもある最上氏が、語り部として今も語る浮島伝説、その地の語りに耳を傾けてみよう。
「沼の鳥居さある島が本島で、出島とも言うでんだな。日照りの夏は出島に雨乞い壇を設け、昔からうちの神社に伝わる龍を沈めた水盤を置いで祝詞さあぐると雨が降っだという。私の代では雨乞いをしだごとはないけんども。
出島に向がって右側の入り江が水の湧く場所でな、浮島が集まるところ。島は、朝、ここからスーッと出でぎで、夕方さ、まだここさ戻ってぐる。風さないのにな。時には風に逆らって島は動ぐ。ちっこいもので直径約1メートル、大きなものは畳三枚分ほどもあるな。島数が六十を超すことから日本の「六十余州」になぞらえ、昔は島の位置で吉凶を占っとったそうだ。浮島さ乗るなんて、とんでもね。御神体だがらな。
なぜ島が動ぐか、大学教授がやってぎで研究されたことがあっけど、いまだによく分からね。奇怪だと。北海道にも浮島があるやに聞いとるけっど、そこはただ浮いでいるだけ。こごは動ぐ。早さはすごーく遅い時もあるし、ちょっとばかり目え離しでるあいだ、どっか行ってしまうぐらい早い時もあるな。
朝、湖面に落ち葉が落ちでいる。夕方さ行ってみると、落ち葉が帯状に一列に並んでんだな。落ち葉は沼の中には沈まね。それがな、どういうわけか翌朝になるとさっぱり、なぐなる。この辺の老人クラブのじっちゃんなんか、夜中にお姫様が現れて、みんなきれいに掃いてぐれるんだあ、と言ってるみたいだな。
不思議なことはたぐさんある。中でも不思議だったのは、六つか七つの島がな、一列に列を組んでズーッと入り江の方に動いているのを私自身が見だごとだ。遠くから見に来た人が動くのを待っとっても、全然島さ動かん時もある。気の毒だけんどな。かと思うとスーッと人に寄ってきだり、目の前でクルクル回るのを見だ人もある。なぜそうなるか、分がんね。」


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−43>
 夕立の雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山にひぐらしの声   式子内親王

新古今集、夏、百首歌の中に。
邦雄曰く、窈窕玲瓏、その比を見ない式子の作品群の中では、これが? とわが眼を疑うような単純な叙景歌の一つ。五句中、ただの一語も現代に通じないものはない。しかもその上、各句にまったく句切れがなく、一息に誦し終れる調べに、晩夏の夕立の後の、ほっとするような涼しさを生み出している。作者にしてこの歌ありという意味でも、記憶すべき歌、と。


 蝉の羽の薄らごろもになりにしを妹と寝る夜の間遠なるかな   曾禰好忠

好忠集、毎月集、夏、五月中。
邦雄曰く、情の薄さと蝉の羽、比較の次元の異なるものを、ただ言葉の音韻の上だけで照応させる、そのかすかなおかしさ。下句の万葉東歌を連想させるようなあらわな修辞が、それゆえにかえってあはれにひびく。好忠の独特の味わいの一つといえよう。「妹」はこの場合、妻をはじめとする女性の総称。夏の衣は絽や紗のような薄物で作られた単衣である、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。