宿は荒れぬうはの空にて影絶えし‥‥

Zetsubou

−表象の森− 終戦靖国と玉音と。


8.15、終戦記念日である。
9月に任期満了を控えた小泉首相は、念願だった?靖国神社への8.15参拝を、どうやら初志貫徹とばかり強行するらしい。先頃マスコミを賑わした、靖国へのA級戦犯合祀問題に触れた昭和天皇の発言、いわゆる富田メモに、内心深く動揺もし、心の棘となって刺さっていたろうに、変人奇人の宰相は、どこまでも平静を装い、01年の総裁選公約どおり、本日の参拝をもって有終の美としたいのだろう。
と、これを書き継いでいるおりもおり、午前7時30分過ぎ、TVでは小泉首相靖国参拝の報道を伝え始めた。
本人としては、おのが信念に基づく行動であり、美学とも考えているのだろうが、多くの国民には、餓鬼にも似て、ただの天の邪鬼にしか映らないだろうと思えるのだが‥‥。


61年前の終戦詔勅、すなわち玉音放送だが、「絶望の精神史」によれば、金子光晴は山中湖畔の落葉松林の小屋のなかで、召集をぬらりくらりと逃げとおさせた息子と二人で、良く聞こえもしないラジオで聞いたらしい。妻の三千代は、五里の道を歩いて富士吉田まで、食糧を手に入れるために朝から出かけていたという。
玉音を聞くには聞いたが、良く聞き取れないラジオで、終戦詔勅とは判らず、「何かおかしいぞ」といいながら、壊れラジオを叩いたり振ったりした、とも書いている。結局午後4時過ぎになって、出かけていた三千代らが帰ってきて、戦争が終わったと街で大騒ぎになっていると聞かされて、やっと玉音の意味が判った、と。


終戦詔勅、61年前の8月15日の正午きっかりに始まった、この玉音放送を、日本国民のどのくらいの人々が聞き、またその意味が正確に伝わったのかは、実際のところはよく判らない。
当時、ラジオの受信契約数は全国で5,728,076件、全世帯への普及率は39.2%だったというから、現在のようなテレビのほぼ100%普及をあたりまえの日常として受け容れている感覚からすると、彼我の差は甚だしく、とても想像しにくいところだ。


まだ幼い子どもだった頃、よく親に連れられていく映画館の暗闇のなかで、上映されるニュースに、偶々8.15の時期でもあったのだろう、この終戦詔勅の一節が流されるのを、なんどか聞いた記憶があるが、ほとんど肉感を感じさせないモノトーンのあの調子が、まるでなにか不吉なおまじないか呪文のようにも聞こえ、なんともいえない居心地の悪さを感じたものだが、子ども心に何回も重ねて反復強化されてしまった、あの玉音の語りの調子は、耳の底深くはっきりと痕跡を残して、この先も決して消え去ることはないのだろう。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−49>
 水上も荒ぶる心あらじかし波も夏越の祓へしつれば  伊勢大輔

拾遺集、夏、六月祓へを詠める。
邦雄曰く、後拾遺・夏の巻軸歌。拾遺・夏・藤原長能の「さばへなす荒ぶる神もおしなべて今日は夏越の祓へなりけり」の本歌取り。「夏越」に「和む」を懸けて第二句に対置させつつ、同時に祓の真意も伝えているところ、夏の締めくくりにふさわしいヴォリュームと言うべきだろう。なお、古代では6月半ば以降にも、便宜があれば随時に祓をしたと伝える、と。


 宿は荒れぬうはの空にて影絶えし月のみ残る夕顔の露  心敬

十体和歌、有心体、疎屋夕顔。
邦雄曰く、仄白い瓢(ふくべ)の花影と露、それ以外には見る影も無いあばら屋の姿であるが、何か物語めいて、恋の面影さえ浮かんでくるような味わいのある歌。連歌風の臭みさらになく、「影絶えし月のみ」が上・下に分かれて、ぴしりとアクセントを強調し、初句6音の思い入れも効果的である。空にはもはや見えぬ月が、夕顔の露に映っているとは、実に微妙だと。


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