手にならす夏の扇と思へども‥‥

Nakahara0509181391

−表象の森− 金子光晴関東大震災詩篇

 金子光晴の初期詩篇に「東京哀傷詩篇」と名づけられた、大正12(1923)年9月1日の、関東大震災に遭ったときに綴った詩群がある。明治28(1895)年生れの金子光晴はこの年28歳。被災の後、西宮市に住む実妹の嫁ぎ先、河野密の家に、その年の暮れまで厄介になっている。


「焼跡の逍遥」


もはや、みるかげもなくなった、僕らの東京。
なにごとの報復ぞ。なにごとの懲罰ぞ。神、この街に禍をくだす。
 花咲くものは、硫黄と熔岩。甍、焼け鉄。こはれた甕。みわたす堆積のそこここから、余燼、猶、白い影のように揺れる。
 この廃墟はまだなまなましい。焼けくづれた煉瓦塀のかたはらに、人は立って、一日にして荒廃に帰した、わが心を杖で掘りおこす。
 身に痛い、初秋の透明なそらを、劃然と姿そろへて、
 夥しい赤蜻蛉がとぶ。


 自然は、この破壊を、まるでたのしんでゐるようだ。
 人には、新しい哀惜の情と、空洞ににじみ出る涙しかない。
 高台にのぼって僕は展望してみたが、四面は瓦礫。
 ニコライのドームは欠け、神田一帯の零落を越えて
 丸の内、室町あたり、業火の試練にのこったビルディングは、墓標のごとくおし並び、
 そこに眠るここの民族の、見果てぬ夢をとむらうやうだ。


 僕の網膜にまだのこってゐるのは、杖で焼石を掘り起こしてゐた
 白地浴衣、麦藁帽の男の姿だった。
 その姿は、紅紫の夕焼空に黒くうかび出て。身にかへがたい、どんな貴重品をさがしゐるのか。
 わかってゐる。あの男は、失った夢を探しにきたのだ。
 そして、当分、この焼跡には、むかしの涙をさがしにくるあの連中の
 さびしい姿が増えることだろう。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−48>
 手にならす夏の扇と思へどもただ秋風の栖なりけり  藤原良経

六百番歌合、夏、扇。
邦雄曰く、類歌は夥しかろう。だが扇を「秋風の栖」と観じたのは良経の冴えわたる詩魂であり、燦然として永遠に記念される。俊成は右の慈円の作「夕まぐれならす扇の風にこそかつがつ秋は立ち始めけれ」を勝としたが、曖昧な判詞で首を傾げるのみ。うるさい右方人でさえ、良経の歌に「夏扇に風棲むは新し」と讃辞を呈しているが、歌合にはめずらしい現象、と。


 六月やさこそは夏の末の松秋にも越ゆる波の音かな  飛鳥井雅経

千五百番歌合、五百十九番、夏三。
邦雄曰く、波の越えることはない歌枕「末の松山」を、「夏の末の松」と、季節の中に移して、遙かに響く潮騒に秋を感じさせる。手のこんだ技法は、30代前半の雅経ならではの感。左は小侍従の「禊川なづる浅茅のひとかたに思ふ心を知られぬるかな」で、良経判は右雅経の勝。左の歌、四季より恋の趣が濃厚で、80歳を超えてなお健在の小侍従だ、と。

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