思ふことみな盡きねとて‥‥

20060719165102

−表象の森− 円空の十二神像

円空の十二神像は四様の彫像群が残されている。
一は、愛知県扶桑町正覚寺

−正覚寺の12神将−

二は、愛知県江南市の音楽寺、
円空がこの寺に立寄り逗留したのは延宝4(1676)年とされるから45歳である。
−音楽寺の12神将−

三に、名古屋市千種区の鉈薬師堂(別名医王堂)に残されるもの、寛文9(1669)年というから38歳の作。
−鉈薬師の12神将−

四に、大垣市の報恩寺に残されるもの、これは寡聞にしていつ頃の作か不明。
−報恩寺の12神将−


五来重はその著「円空と木食」のなかで、正覚寺と音楽寺の12神将を比較して次のように手短に記している。
正覚寺十二神将の装飾過剰に対して、愛知県江南市の音楽寺の、薬師、二脇侍、十二神将、大護法善神は、円空芸術の最高位を示したものである。物象の立体的な捉え方と、その表現技巧が、間然するところなくゆきとどいている。堅い木材を塑泥のごとく自由自在にこなし、かつ無駄がない。忿怒が内面的に抑えられて微笑となる。しかし、欠点をいえばそれはあまり巧みすぎて力動感にやや欠けることである。」
 五来氏が、名古屋千種区の鉈薬師の12神将を観られていたかどうか判らぬが、私などからいえば、この若書きの、しかも簡略化のよく効いた、素朴・単純な形の12神将のほうが、よほど魅力的に感じられる。
サイトの説明によれば、「堂内には像高1.2㍍の本尊薬師仏のほか、鉈彫りで有名な円空(江戸時代初期の僧)作と伝えられる脇侍の日光・月光の二菩薩、十二神将像が安置してある。円空仏は毎月21日に開帳される。」というから、是非、ナマの円空12神将を観てみたいものである。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−50>
 夏と秋と行きかふ空の通ひ路はかたへ涼しき風や吹くらむ   凡河内躬恒

古今集、夏、六月のつごもりの日詠める。
邦雄曰く、夏の初めの貫之の傑作「花鳥もみな行き交ひて」と鮮やかな照応をなす発想。縹渺たる大空のどこかで、衣の袖を翻しつつ、夏と秋が擦れちがうさまを幻想する。下句のことわりめくのは、作者のかけがえのない発見・創意の証ととるべきだろう。この歌、古今集夏歌の巻軸。「かたへ」は片一方の意。今一方は熱風が鈍色に澱んでいると見るべきか、と。


 思ふことみな盡きねとて麻の葉を切りに切りても祓へつるかな   和泉式部

拾遺集、雑六、誹諧歌、水無月祓へを詠み侍りける。
邦雄曰く、勅撰集あるいは私家集の夏の巻末を占めるのがほとんど六月祓。ほとんど同趣同技法だが、この麻の葉は作者独特の鋭く劇しい気魄に満ち、読む者の胸に迫る。しかもこの歌、「みなつき」を物名歌風に詠み込んで、部類も誹諧歌だ。第四句の「切りに切りても」のあたり、憑かれて物狂いのさまを呈する巫女の姿が、まざまざと顕って凄まじい、と。

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