瑠璃草の葉に置く露の玉をさへ‥‥

Isamunoguchi

Information−Shihohkan Dace-Café


−表象の森− 中原喜郎展とイサム・ノグチ速水御舟


滋賀県立近代美術館へと家族を伴って出かけた。
先ずは中原喜郎個展のギャラリーへ。今日が初日の会場にはもちろん中原兄の姿があった。
作品は40点余りだが、例年に比べれば総じて小振りになった感は否めないが、難病を抱え無理のできぬ身体を思えば、なおこれだけの壁面を埋めきる画魂に驚きを禁じ得ない。
F6号という小品だが「誰もいない」と題された作品、肩を寄せ合うような人物たちのフォルムといい、赤と青と白の、色の配合といい、自家薬籠中の技術だが、彼らしい達者な作品に、私はもっとも惹かれた。


次に1000円也を払って、同じ館内のイサム・ノグチ展会場へ。
こうして彼の作品群を観るのは初めてだが、幅広く活動してきた国際的に著名な作家だけに、かなり既視感のともなう印象がするのだが、それにしても石や金属や陶の彫刻からガーデン・アート、インテリア・デザインまで多岐にわたる仕事は、繚乱として眼を瞠らせるものがある。
香川県高松の屋島に面した「イサム・ノグチ庭園美術館」は、晩年の20年余をここで暮し、アトリエとして制作に励んだという場所だが、150点余りの作品が緻密な計算のもとに置かれ、瀬戸内の自然のなかで呼吸している。


中原氏の絵画と、イサム・ノグチの世界に堪能したこの日だったが、実は予期せぬ収穫がもう一つあった。「イサム・ノグチ展の会場に足を運ぶ前に、何気なく入った常設展の室内で、その画風そのままに静謐な佇まいで壁に掛かった一枚の日本画に、私はしばらく眼を奪われてしまっていた。
速水御舟の「洛北修学院村」である。
表題の示すとおり、洛北の重畳とした比叡山麓にひろがる深緑一色の牧歌的な風景だが、細密画のように徹底したその稠密に描き込まれた細部の綴れ織りからくる印象は、すぐれて実在感のある深遠さとでもいうか、まさに濃密なる風景なのだ。御舟自身「群青中毒に罹った」と言っていたという、その中毒症状のなかで生まれた作品なのだろう。
狂おしいまでの緑青であり、狂おしいまでの稠密さだ。そしてなお風景としてしっかりと実在感がある。

速水御舟「洛北修学院村」滋賀県立近代美術館所蔵


ほぼ滞在3時間、かように腹一杯に堪能してはなんとなく心身も重くけだるいほどである。おかげで帰りの車の運転は倦怠に襲われかなり辛いものになった、欲張り観賞の一日だった。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−60>
 いとせめて夕べよいかに秋の風立つ白波のからき思ひは  後柏原天皇

柏玉集、秋上、秋夕。
邦雄曰く、二句切れの三句切れで、結句は倒置法、文体にも奇趣を楽しませ、三玉集時代の新風の一体を誇る。「秋夕」三首中のいま一首「われのみの夕べになして天地も知らずとや言はむ秋の心は」も、その歌柄の大きさ、悠久の思いを籠めた味わい、感嘆に値する。「立つ白波のからき思ひは」の「からき」は、「辛き・苦しき」を意味し、波の縁語でもある、と。


 瑠璃草の葉に置く露の玉をさへもの思ふときは涙とぞ見る  源順

源順集、あめつちの歌、死十八首 思。
延喜11(911)年−永観元(983)年、嵯峨源氏嵯峨天皇の曾孫源挙の二男、従五位下能登守。博学で知られ、20代で「和名類聚抄」を編纂。三十六歌仙に数えられる歌人でもある。拾遺集初出、勅撰集に51首。
邦雄曰く、沓冠共に「あめつちの歌」四十八題を詠み込んだ超絶技巧作中の「る」。瑠璃草は紫草科の蛍葛の漢名だが、他に用例は見あたらず、博識な順の遊びであろう。それにしてもこの清新軽妙な歌、明治末期の明星歌人の作としても通るだろう。「れ」は「猟師にもあらぬわれこそ逢ふことを照射の松の燃えこがれねれ」。言語遊戯の極致である、と。


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